死してなお 今はなき自動車メーカーが残した名車 39選 前編 消えない灯火
公開 : 2022.02.20 06:05
数々の自動車ブランドが立ち上がっては消えていく。そんな儚い歴史の中から、彼らが残した名車を紹介します。
もくじ
ー死してなお、輝きを放ち続ける名士たち
ーAMCイーグル(1980年)
ーオースチン・ヒーレー3000(1959年)
ーアウトビアンキA112アバルト (1971年)
ーダイムラーSP250/ダート(1959年)
ーデ・トマソ・パンテーラ(1971年)
ーファセル・ヴェガ・エクセレンス(1958年)
ーハドソン・ホーネット(1951年)
ージェンセン・インターセプター(1966年)
ーマトラ・ランチョ(1977年)
ーマーキュリー・クーガー(1967年)
ーモーリス・マイナー(1948年)
ーオールズモビル4-4-2(1964年)
ーパナール24 BT/CT(1964年)
ーポンティアック・ファイヤーバード(1967年)
ープリムス・ロードランナー(1968年)
ープリムス・プロウラー(1997年)
ーローバーSD1(1976年)
ーサーブ99(1968年)
ーサーブ900エアロ/SPG(1984年)
死してなお、輝きを放ち続ける名士たち
時代は変わり、市場は進化し、時には支配者である大企業が土にまみれてしまうこともある。車輪が溝にはまり、抜け出せないまま朽ちてしまった自動車会社は少なくない。
しかし、彼らは素晴らしい技術やデザイン、文化を数多く残してくれた。今回は、消滅してしまった自動車メーカーやブランドが製造した名車の数々を紹介する。後編もお見逃しなく。
AMCイーグル(1980年)
今、AMCで最も注目すべきはイーグルである。イーグルは、本格的な四輪駆動システムと十分な地上高によって、厳しいトレイルや膝まで埋まるような雪に挑むファミリーカーであった。いわば、イーグルは現代のクロスオーバー車の前身といえるだろう。
最近、クーペSUVの人気が高まっているが、AMCはイーグルSX/4でそれを実現しており、クーペらしく2ドア仕様になっていた。
AMCはどうなったのか?
1979年にフランスのルノーに買収されたが、80年代に燃料価格が比較的安くなったため、小型車を中心としたAMCのラインナップは苦戦を強いられた。ルノーCEOのジョルジュ・ベッセが1986年にテロリストに殺害されると、AMCは1987年にクライスラーに売却され、消滅した。
オースチン・ヒーレー3000(1959年)
1959年にデビューしたオースチン・ヒーレー3000は、3.0Lエンジンとフロントのディスクブレーキが特徴的なモデルだった。欧州のラリーで威力を発揮したが、北米ではコンバーチブルに憧れる消費者に支えられた。ヒーレーは、1960年代を通じて改良が続けられた、当時の英国を代表するスポーツカーである。写真はオースチン・ヒーレー3000 Mk3。
オースチン・ヒーレーはどうなったのか?
オースチンとヒーレーの20年にわたる契約は、1972年に終了した。その後、オースチンの後継会社であるローバーをBMWが所有するなど、復活の話もあったが、何も形になっていない。社名自体は現在、中国の上海汽車(SAIC)が所有している。
アウトビアンキA112アバルト (1971年)
フォルクスワーゲンはホットハッチのパイオニアとして認められがちだが、なぜかアウトビアンキのA112アバルトは見落とされている。確かにA112はマッチ箱のようなサイズなので、視界に入らないのも無理はない。
1971年9月、まだゴルフの名が存在していなかった時期に、成功を収めたA112の高性能バージョンとして登場している。初期モデルは最高出力59psの4気筒エンジンを搭載していたが、生産が進むにつれて71psまでパワーアップした。
アウトビアンキはどうなったのか?
同社は、自転車メーカーのビアンキ、ピレリ、フィアットの3社による合弁会社であった。1968年にフィアットが全権を握り、ランチアに吸収合併された。アウトビアンキのバッジは1995年に消滅している。