死してなお 今はなき自動車メーカーが残した名車 39選 前編 消えない灯火

公開 : 2022.02.20 06:05

ダイムラーSP250/ダート(1959年)

かつて王侯貴族にクルマを供給していたダイムラー(デイムラーとも呼ばれる)は、やがて市販車を製造するようになった。SP250のエンジンは、2.5LでありながらV8という面白い構成になっている。

エレガントでありながら見た目は面白く、最高時速193km/hと気合の入った走りで、重厚な先代モデルとは決定的に違う。英国初の高速道路M1でスピード違反の取り締まりに使われたのは有名な話だ。

ダイムラーはどうなったのか?

ダイムラーSP250/ダート(1959年)
ダイムラーSP250/ダート(1959年)

1960年にジャガーに売却され、モデルは最終的にジャガーの派生車種となった。2007年にブランドは消滅したが、ジャガーは現在も多くの市場でダイムラーの名を使用する権利を持っている。しかし、現在はメルセデス・ベンツの親会社の名前でもあることから(複雑だ……)、いまさらジャガーが使う可能性は低いと思われる。

デ・トマソ・パンテーラ(1971年)

フェルッチオ・ランボルギーニ(1916~1993年)は、フェラーリを倒すために、クルマ全体をゼロから開発するという気の遠くなるような道を歩んだ。アレハンドロ・デ・トマソ(1928~2003年)はもっと単純に、息を呑むほどゴージャスな乗り物をデザインし、フォードからV8を買ってきてシートの後ろに積むという方法をとった。

パンテーラはデ・トマソに安定したキャッシュフローを提供したが、品質の問題を抱えていた。その信頼性の低さから、エルビス・プレスリーは何度もパンテーラを撃ってしまったという。銃弾が役に立ったかどうかは定かではない。フォードは1975年に米国への輸入を停止したが、他の市場(欧州など)向けには1992年まで生産が継続された。

デ・トマソはどうなったのか?

デ・トマソ・パンテーラ(1971年)
デ・トマソ・パンテーラ(1971年)

1975年にマセラティと合併。マセラティの方が多産であったが、デ・トマソの販売は2004年に消滅するまで少量ながら継続された。商標は売却され、2011年のジュネーブ・モーターショーにはデ・トマソのコンセプトカーが登場したが、それ以来、何の音沙汰もない。

ファセル・ヴェガ・エクセレンス(1958年)

現在買える最高級のフランス車は、BMW 5シリーズの低グレードと同程度の価格だ。しかし、昔はそうではなかった。ファセル・ヴェガ(世界で最もイメージに敏感で、自尊心の強いスターが愛用するブランド)は、ロールス・ロイスやドイツ車の最高級モデルに対抗するためにエクセレンスを製作した。

リアドアを逆向きにした観音開き、重厚なデザイン、手作業で作られたインテリアなど、エクセレンスはその名に恥じないものであった。ブランド、そしてフランスの自動車産業全体のフラッグシップとしての役割を担っていたのである。

ファセル・ヴェガはどうなったのか?

ファセル・ヴェガ・エクセレンス(1958年)
ファセル・ヴェガ・エクセレンス(1958年)

メルセデス・ベンツのようなライバルとの競争に敗れ、1964年に閉鎖された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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