死してなお 今はなき自動車メーカーが残した名車 39選 前編 消えない灯火

公開 : 2022.02.20 06:05

ハドソン・ホーネット(1951年)

1950年代の米国車はみんな同じに見えるという神話を払拭したのが、ハドソン・ホーネットだ。確かに、大きな丸いヘッドライトと宇宙から見えるほどのクロームメッキの装飾が施されていたが、同業者との類似点はそれだけだ。

ルーフラインは長く曲線を描き、ポンツーン型のリアエンドへと流れていく。今ならメルセデス・ベンツCLSのような4ドア・クーペに分類されるだろう。1950年代初頭、ホーネットはNASCARを席巻し、その速さは折り紙付きだった。

ハドソンはどうなったのか?

ハドソン・ホーネット(1951年)
ハドソン・ホーネット(1951年)

1954年にナッシュ・ケルビネーターと合併し、アメリカン・モーターズ(AMC)が誕生した。ハドソンの名は1957年まで存続している。AMCの残党(特にジープ)は、今日、ステランティスの傘下にある。

ジェンセン・インターセプター(1966年)

ジェンセン・インターセプターは、トライアンフやMGといった典型的な英国製スポーツカーに代わる選択肢を消費者に提供した。鋭いハンドリングや維持費の低さよりも、シルキーでスムーズな低速トルクを重視する層をターゲットにしている。しかし、ジェンセンは財政難から破綻し、後継車種がないまま消滅した。

ジェンセンはどうなったのか?

1976年、ジェンセンは操業を停止。2001年に新型車S-V8で復活したが、わずか20台が生産されただけで再び消滅した。

ジェンセン・インターセプター(1966年)
ジェンセン・インターセプター(1966年)

マトラ・ランチョ(1977年)

マトラは、ランチョを「残り物だけを使って最後に作る料理」に例えた。バンのVF2をベースに、1308GTから最高出力81psの1.4Lエンジン、1100TIからブレーキ、1307から4速MTを移植したのだ。

アウトドア志向の強いデザインで、どこにでも行けそうだが、コストやパッケージングの関係で四輪駆動は設定されなかった。クロスオーバー車の先駆けであったが、登場が数十年早すぎたと言わざるを得ない。運命のいたずらで、ランチョの後継車は欧州初のミニバン、ルノー・エスパスの原型となった。

マトラはどうなったのか?

マトラ・ランチョ(1977年)
マトラ・ランチョ(1977年)

マトラの自動車部門はルノーの委託製造業者となったが、この業務は2003年に終了し、他の資産の一部はピニンファリーナに買収された。マトラの防衛・航空宇宙部門は、現在エアバスの一部となっている。

マーキュリー・クーガー(1967年)

マーキュリーは、プラットフォームを共有するフォードマスタングとフォード・サンダーバードの間を埋めるべく、クーガーを発売した。ポニーカーの性能に豪華さをプラスして、マーキュリーのヒーローとなったクルマだ。

その後のモデルは、オリジナルのスピリットを再現しようと試みたものの、その出来栄えの悪さと無気力な性能のために、ほぼ失敗に終わっている。

マーキュリーはどうなったのか?

マーキュリー・クーガー(1967年)
マーキュリー・クーガー(1967年)

金融危機後の合理化により、フォードは2010年にマーキュリーブランドの終了を発表する。2011年1月に最後のモデルであるグランドマーキスが製造された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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