死してなお 今はなき自動車メーカーが残した名車 39選 前編 消えない灯火
公開 : 2022.02.20 06:05
ポンティアック・ファイヤーバード(1967年)
GMは、シボレー・コルベットと直接競合することを恐れて、ポンティアックに2シーターのスポーツカーを製造することを許可しなかった。その代わりにポンティアックは、当時の新型車カマロと同じプラットフォームをベースにしたスポーツカーの発売許可を得た。
「スクリーミング・チキン」と呼ばれたファイアーバードは、カマロとともに4世代に渡って活躍し、2002年に屠殺場へと送られることになった。
ポンティアックはどうなったのか?
2008年から2009年にかけての世界的金融危機で瀕死の状態に陥ったGMは、ブランドの合理化を図るため、2010年にポンティアックブランドを廃止した。
プリムス・ロードランナー(1968年)
マッスルカーは、よりパワフルかつ高価になるにつれて、一般消費者の手の届かない存在になっていった。ロードランナーは、ありふれたクルマのボディに強力なエンジンを搭載するという、マニアが認める基本的な方式に立ち返ったものだった。
ロードランナーは発売初年度にプリムスの予想を大きく上回る成功を収めた。手頃な価格のマッスルカーが必要とされた時期だったのである。
プリムス・プロウラー(1997年)
成長しすぎたホットウィールのおもちゃがあるとすれば、それはプリムス・プロウラーである。1950年代に米国の道路を走っていたクラシックなホットロッドを現代風にアレンジしたもので、ブランドにスタミナをつけるための冒険だった。
このクルマは大ヒットしたわけでも、プリムスを復活させたわけでもないが、2000年代初頭の一連のレトロスタイルの米国車にインスピレーションを与えた。
プリムスはどうなったのか?
クライスラーのプリムスブランドは2001年に消滅し、各モデルは生産中止かクライスラーにブランド変更された。
ローバーSD1(1976年)
ローバーは中国で生まれ変わり、「ロエベ」と名乗るようになっている。SD1は、ローバーがホンダと組んで技術とコストを共有する前に、単独でフラッグシップモデルを作ろうとした最後の挑戦であった。前衛的なデザインとV8エンジンを採用し、BMWやメルセデス・ベンツの高級セダンと同じ土俵、かつローバーの頂点に立つモデルである。
ローバーはどうなったのか?
ローバーはオースチン・ローバー・グループの一員となり、1987年から1991年にかけて、ホンダ・レジェンドをベースにスターリングブランドのモデルを米国で販売した。その後、1994年にBMWに売却されている。2000年にフォードにランドローバーを売却した後、現在のMGローバーをわずか10ポンドで経営コンソーシアムに売却した。
しかし、MGローバーは2005年に廃業する。ローバーブランドは2006年にBMWからフォードに約1000万ポンドで売却され、フォードは2008年にランドローバーとジャガーと共にインドのタタ・モーターズに売却した。