死してなお 今はなき自動車メーカーが残した名車 39選 後編 消えない灯火

公開 : 2022.02.20 06:06

タルボ・サンバ・カブリオレ(1982年)

フォルクスワーゲンのゴルフ・カブリオレをロールス・ロイスに見立てたのが、タルボ・サンバ・カブリオレ。欧州で最も安価なクルマをベースにしたこのオープンカーは、資金繰りに苦しむ若いドライバーにとって、お金をかけずにヒーローになれる方法だった。

また、サンバをプジョー104やシトロエンLNAと遺伝子を共有するモデルから切り離し、タルボブランドに独自のイメージを持たせることも試みられた。タルボが地中深くに沈んだ後、サンバ・カブリオレから聖火を受け継いだのはプジョー205CJである。

タルボはどうなったのか?

タルボ・サンバ・カブリオレ(1982年)
タルボ・サンバ・カブリオレ(1982年)

1979年にPSAプジョー・シトロエンがクライスラー・ヨーロッパを買収すると、タルボのバッジを旧クライスラーやシムカのモデルに使用するようになった。乗用車への使用は1987年まで、商用車への使用は1994年まで続けられた。

トライアンフ・スタッグ(1970年)

50年代から60年代のトライアンフにおいて、成功したTRの可愛らしさに目を奪われる人もいるだろうが、AUTOCARはメルセデスSLに対する英国流V8エンジンの回答として、スタッグがもっと評価されるべきだと考えている。

信頼性の問題には悩まされたものの、ハンサムな雰囲気を持つスタッグは、調子の良いときには気持ちのいいドライブができたものだ。

トライアンフはどうなったのか?

トライアンフ・スタッグ(1970年)
トライアンフ・スタッグ(1970年)

トライアンフは所有者のブリティッシュ・レイランドの下で経営が悪化し、奇抜なTR7が最後の自社開発車となった。その後、1981年にホンダをベースにした茶番劇「トライアンフ・アクレイム」が登場し、1984年にその名が途絶えた。

しかし、ミュンヘンの誰かが長い間記憶していたのだろう、トライアンフ・カーズの名前は現在BMWに属している。これはローバーの所有だった頃の名残だが、BMWがローバーを手放した際にも残った。トライアンフとBMWは、1970年代の欧州の小型スポーツセダン市場で真っ向からぶつかり合った間柄だ。

ベスパ400(1957年)

自動車メーカーとしては、ベスパはもう死んでいる。スクーターで世界的に知られるこのイタリアンブランドは、モナコで開催されたイベントで、欧州市場で最小クラスの400を発表し、四輪車という沼に足を踏み入れたのである。

排気量393ccのエンジンを積んだベスパ400は、ゴッゴモビルやフィアット500と同じハンカチサイズの小型車クラスに参入。生産はフランスで行われた。その後、ベスパは二度と四輪車を製造することはなかった。

ベスパはどうなったのか?

ベスパ400(1957年)
ベスパ400(1957年)

一言で言えば、何も起こっていない。親会社のピアッジオは、ベスパを含めアプリリアやモトグッツィなどさまざまなブランドを展開し、2019年には40万台の二輪車を販売した。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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