死してなお 今はなき自動車メーカーが残した名車 39選 後編 消えない灯火
公開 : 2022.02.20 06:06
NSU Ro80(1967年)
1967年のフランクフルト・モーターショーで発表されたNSU Ro80は、当時の市販車の中で最も革新的な1台を自負していた。異様なプロポーション、空力特性に優れたデザイン、ツインローターのワンケルエンジンを搭載した、大型の高級車である。多くの人が、未来のファミリーカーとしてRo80を賞賛した。
しかし、ロータリーエンジンの不具合により評判は芳しくなく、さらに第一次石油輸出禁止令により、その運命は決定的なものとなってしまった。NSUはロータリーエンジンの信頼性を高めるための対策を講じたが、燃費を抑えることはできなかった。Ro80は1977年、直接の後継車種がないまま引退した。
NSUはどうなったのか?
フォルクスワーゲンはNSUを買収したが、その関心はラインナップよりも工場にあった。1969年にNSUとアウトウニオンを合併させ、フォルクスワーゲン初の水冷式となったK70をしぶしぶ吸収した。NSUは1977年にRo80の最後の個体を製造したが、同社の遺産は不滅である。プリンツに代わってNSUが開発したアウディ50(1974年)は、ポロの原型となった。
イノチェンティ・ミニ(1974年)
英国のオースチンと提携し、自動車製造部門を設立したイノチェンティは、スクーター市場から足を洗った。1960年代からライセンス生産を開始したミニは、1974年にベルトーネのマルチェロ・ガンディーニがスタイリングを手がけた改良型を発表する。ベルトーネは、イタリアの新星であるアウトビアンキA112に対抗するため、モダンなデザインを採用し、実用的なハッチバックとした。
イノチェンティ・ミニは、デ・トマソブランドのスポーツモデルなど、いくつかの進化を遂げた。1982年にはダイハツ製の3気筒エンジン、1983年にはデ・トマソのターボチャージャー搭載モデル、1985年にはエントリーレベルの2気筒エンジンがラインナップに加わった。
何度か内外装のアップデートが行われたものの、イノチェンティ・ミニは1993年に引退。これはベースとなったミニが生産終了する7年前、そしてアウトビアンキが最後のA112を製造してから7年後のことだった。
イノチェンティはどうなったのか?
1990年代に入ると、フィアットはデ・トマソからイノチェンティとマセラティを徐々に引き取っていった。イノチェンティの工場を閉鎖し、2代目ウーノをイタリア製より安い価格で販売したブラジル製のミッレなど、リバッジモデルを次々と投入したのだ。フィアットは1997年にイノチェンティを屋根裏部屋にしまい込み、2021年からはステランティスがその名前を所有している。