死してなお 今はなき自動車メーカーが残した名車 39選 後編 消えない灯火

公開 : 2022.02.20 06:06

デロリアンDMC-12(1981年)

GMの元幹部ジョン・Z・デロリアンは、ロータスの創業者コリン・チャップマンとデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロの協力を得て、倫理的なスポーツカーというビジョンを現実のものにした。紛争の最中に北アイルランドで製造されたDMC-12は、未来的なシルエット、ステンレススチール製のボディ、ガルウィングドアなど、人々の度肝を抜く要素を満載していた。

しかし、品質上の問題がその評判に大きな打撃を与えた。デロリアンは、1982年モデルで問題のほとんどを修正したが、この対応はあまりにも遅すぎた。1981年の米国の不況で販売が落ち込み、経営陣はさらなる資金投入を拒否。DMC-12は、わずか8975台が製造されただけで1982年に生産を終了した。

デロリアンはどうなったのか?

デロリアンDMC-12(1981年)
デロリアンDMC-12(1981年)

デロリアンは、自動車業界で最も有名な一発屋になるつもりはなかったし、ハリウッド映画の時間旅行用小道具を作ろうとも考えていなかった。デロリアンは、DMC-12をツインターボ化したモデルをテストし、DMC-24という4ドアモデルの開発に着手していたが、これは後にランボルギーニ・マルコポーロのコンセプトとして再利用されることになる。

しかし、経営難が深刻化し、創業者が逮捕されたこともあって、デロリアンは経営破綻に追い込まれた。

1995年、スティーブ・ウィンという人物が同社のスペアパーツの在庫を買い取り、テキサス州ハンブルにデロリアン・モーター・カンパニーを設立した。当初は部品を販売していたが、今ではDMC-12の後継としてEVスポーツカーを作ろうとしているようだ(詳細はいまのところ不明)。

イーグル・タロン(1989年)

クライスラーは1988年にイーグルを設立し、同年撤退したAMCからバトンタッチした。イーグルのラインナップは、平均的で刺激のないモデルが多く、イメージの低さに悩まされていた。しかし、三菱エクリプスと密接な関係にあるタロンだけは例外だった。

1989年に発売されたタロンは、四輪駆動と最高出力195psのターボチャージャー付き4気筒エンジンを積んでいるのだ。

イーグルはどうなったのか?

イーグル・タロン(1989年)
イーグル・タロン(1989年)

今にして思えば、クライスラーのポートフォリオにはイーグルのような無名ブランドを置くスペースはなく、戦うチャンスを与えるだけの興味も資金もなかったのだろう。1990年代には次々とモデルが撤退し、1998年にはイーグルの名前も消滅した。

2021年からはステランティスがその名を所有する。復活の確率は低いが、(プリムスや三菱のバッジを付けた兄弟車とともに)タロンを製造していた米イリノイ州ノーマルの工場は、現在、EV新興企業のリビアンのものとなっている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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