誰も知らないSUV 32選 前編 生まれる時期が早すぎた不運な名車・珍車
公開 : 2022.03.05 06:05
ジープスター・コマンドー(1967年)
コマンドーが登場するまでに、ジープは20年以上かけて、有名な軍用車の民間版を作り、さまざまな成功を収めてきた。コマンドーは大型の2ドアSUVで、ピックアップ、コンバーチブル(写真)、ロードスター、カバードワゴンがあり、2年前に発売されたフォード・ブロンコをしっかりと視野に入れたモデルであった。
1972年に発表されたC104は、「脱ジープ」のフロントデザインや、新会社AMCの強力な直6およびV8エンジンを採用していたが、販売上の問題を解決するには至らなかった。そのため、コマンドーはほとんど忘れ去られてしまったが、一方ライバルのブロンコは最近復活し、高評価と記録的な売上を見せつけている。
プリムス・トレイルダスター(1974年)
ジープはブロンコへの対応が早かったが、クライスラーは遅かった。ダッジ・ラムチャージャーは、ブロンコが2ドア大型SUVというホットなセグメントを確立してから10年近く経ったあと、遅ればせながら登場したモデルである。姉妹会社のプリムスは、このクルマをトレイルダスター(Trail Duster)と名付けた。
トレイルダスターはラムチャージャーと同様、クライスラーの「スモールブロック」V8と3.7L直列6気筒を搭載。しかし知名度は低く、市場の反応も予想通り冷ややかなものだった。ダッジは7年間でラムチャージャーを11万台販売したのに対し、プリマスはわずか3万6000台にとどまった。ダッジにとって初のSUVであり、最後のSUVとなった。
UMMアルター(1984年)
アルター(Alter)は、複雑な経緯を経て生産に至った。その前身は、フランスの片田舎にあるクルニルという小さな会社の工房で誕生する。その後、UMM(ウニオン・メタロメカニカ)がライセンスを取得し、1977年にクルニルと名付けたオフローダーを、1984年に改良型のアルターを発売。1986年にはさらに改良を加え、アルターIIとした。
アルターは、いずれも「機能優先のデザイン」を体現したモデルである。前方視界を確保するために低いフロントエンドを持ち、リアセクションはできるだけ広い空間を確保するために箱型に設計された。ロングホイールベース、ショートホイールベース、ピックアップが用意された。
アルターIIは耐久性が売り物であった。1989年のパリ・ダカール・ラリーでは、出場したすべての車両が完走している。また、UMMはアルターIIの民間向けモデル(ビーチ向けの明るいデカールを両面に貼ったものなど)を発売し、レジャー向けのオフロード車市場に食い込もうとしたが、ラーダ・ニーバと比較してもあまりにベーシックであったため、その良さは伝わらなかった。
1992年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がポルトガルを訪問した際、専用車として使用されたこともある。