誰も知らないSUV 32選 後編 生まれる時期が早すぎた不運な名車・珍車
公開 : 2022.03.05 06:06
今や人気絶頂のSUV。しかし、注目を集めることなく忘れられてしまった不運なモデルも数多く存在します。
もくじ
ーアキュラSLX(1995年)
ーインフィニティQX4(1996年)
ーマーキュリー・マウンテニア(1996年、初代)
ーいすゞ・ビークロス(1997年)
ー三菱パジェロ・エボリューション(1997年)
ーダッジ・ラムチャージャー(1998年、3代目)
ーいすゞ・アクシオム(2001年)
ーサンタナPS10アニバル(2002年)
ー三菱エンデバー(2003年)
ーGMCエンボイXUV(2004年)
ーイヴェコ・マッシフ(2007年)
ーポンティアック・トレント(2005年)
ーサーブ9-7X(2005年)
ークライスラー・アスペン(2006年)
ースズキXL7 Mk2(2006年)
ーキア・ボレゴ(2008年)
ーサーブ9-4X(2011年)
アキュラSLX(1995年)
ホンダ傘下のアキュラは、急成長する高級SUV市場に参入するため、手っ取り早い方法を求めていすゞにコンタクトを取った。いすゞは高級車を販売していなかったが、経営陣は2代目トルーパー(ビッグホーン)を高級車に仕上げることができると考えていた。
1995年にアキュラSLXとして米国で発売。グリルなど細かいデザインを除けば、見た目はいすゞそのものである。インテリアはウッドとレザーの組み合わせで、より洗練されたものとなっている。
3.2L V6を搭載したSLXは、トルーパーよりも力強い走りを見せたが、馬力だけでは質素なルーツを隠すことができず、販売は伸び悩んだ。アキュラは1999年モデルでSLXの販売を終了し、2001年モデルからはSUVではなく乗用車志向の強いクロスオーバーである初代MDXに切り替えた。これは自社開発で、2000年代前半に華々しく売れた。
余談だが、2代目トルーパーのOEM供給を受けた自動車メーカーはアキュラだけではない。シボレー、ホールデン、オペル、ヴォグゾール、ホンダ、スバルも長年にわたってその名を連ねてきたのである。
インフィニティQX4(1996年)
ライバルであるアキュラやレクサスと同様、日産傘下のインフィニティも1990年代には高級SUVセグメントへの迅速かつ容易な参入を必要としていた。2代目パスファインダーの内装にレザーや装備を追加して快適性を高め、エクステリアはフロントエンドのデザインを変更。インフィニティ初のSUV、QX4は1996年に米国で発売された。
QX4はアキュラSLXよりも多くの台数を販売したが、BMWやメルセデス・ベンツとの競争により、経営陣はゼロから出発する必要があると確信するようになった。QX4は2002年に生産を終了し、インフィニティは2003年モデルから日産350ZのプラットフォームをベースにしたFXを発売したのである。
マーキュリー・マウンテニア(1996年、初代)
1990年代、米国で主流自動車メーカーが購買層を維持するためには、少なくとも1車種のSUVを展開する必要があることが明らかになった。アイデンティティの危機に瀕していたマーキュリーは、2代目フォード・エクスプローラーを譲り受け、光沢のあるグリルなどのマイナーチェンジを施した。1997年の販売開始時にはV8が搭載されていたが、その後6気筒も追加されている。
初代マウンテニア(Mountaineer)は年間4万5千台程度の販売台数であったが、ほぼ同型で安価なエクスプローラーは米国を代表するSUVとして根強い人気を誇った。しかし両モデルとも、ファイアストン社による数十億ドル規模の大規模リコールの対象になっている。
今でこそ知名度は低くなったものの、初代マウンテニアはその後の2台の後継車を上回る売上を記録している。マーキュリーは2010年にマウンテニアを引退させ、翌年にはブランド自体も閉鎖されてしまった。