誰も知らないSUV 32選 後編 生まれる時期が早すぎた不運な名車・珍車

公開 : 2022.03.05 06:06

いすゞ・ビークロス(1997年)

1990年代、いすゞの辞書に「スタイル」という言葉は無いかのように思われた。ところが1997年、2代目トルーパーのパーツを流用し、乗用車のようなビークロス(VehiCROSS)を開発し、世間とマスコミを驚かせたのだ。

高いフロントエンドには珍しい形状のヘッドライトを配し、リアエンドには大きな膨らみを持たせ、その下に内側からアクセスする必要のあるスペアホイールを隠している。黒い樹脂製のクラッディングは、イエローなどの派手な色を選ぶと人目を引くことができる。

いすゞ・ビークロス(1997年)
いすゞ・ビークロス(1997年)

図面からショールームまで、味を薄めるような企業会議など通さずに作られたビークロス。約6000台が製造され、そのうち約4200台は1999年から米国に送られた。残りはほぼ日本市場にとどまっている。後継車種がないまま引退し、きれいな個体も少なくなってきているので、最近ではゆっくりと、しかし確実に人気が高まってきている。

三菱パジェロ・エボリューション(1997年)

三菱パジェロのレース活動は華々しいもので、1985年、1992年、1993年のパリ・ダカール・ラリーで優勝している。この過酷なレースで培ったノウハウを、ホモロゲーション用にスーパーSUVが三菱から限定生産で発売された。1997年から1999年にかけて製造されたパジェロ・エボリューション(Pajero Evolution)だ。

3.5L V6エンジンを搭載し、最高出力280psを発揮。オーバーフェンダーやルーフウィングなど、モータースポーツ界から伝わったアドオンを装着した2ドアモデルで、約2500台が生産された。

三菱パジェロ・エボリューション(1997年)
三菱パジェロ・エボリューション(1997年)

1990年代にはまだ高性能SUVは稀であったため、愛好家たちは記録的な速さで全生産台数を買い上げてしまった。パジェロ(一部市場ではモンテロとして販売)はダカール・ラリーで通算12回の優勝を挙げているが、いまのところ三菱は高性能SUVセグメントから身を引いたままだ。

ダッジ・ラムチャージャー(1998年、3代目)

2代目ダッジ・ラムチャージャー(Ramcharger)は1993年に米国市場から引退したが、メキシコ市場では1996年まで現役だった。米国では2ドアSUVの需要が底をついていたため、経営陣は後継を望まなかったのだ。しかし、メキシコでは事情が異なり、ダッジのメキシコ部門は、同市場向けに3代目ラムチャージャーを開発した。

1998年に登場したこのSUVは、ピックアップトラックのラムをベースにしており、正面から見ると両モデルの違いはほとんどないように見える。ミニバンのキャラバンからハッチを流用し、コストダウンを図っている。V8を2種類ラインナップしたが、四輪駆動は設定されなかった。約3万台がメキシコのみで販売された後、2001年に生産終了した。

ダッジ・ラムチャージャー(1998年、3代目)
ダッジ・ラムチャージャー(1998年、3代目)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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