WRCの栄光を市販車に スバル・インプレッサ P1とフォード・エスコート RSコスワース 後編
公開 : 2022.03.20 07:06 更新 : 2022.11.01 08:57
世界ラリー選手権での活躍が、量産モデルの販売へ結びついた1990年代。英国編集部が日英の王者を振り返ります。
もくじ
ー3段ウイングも検討されていた
ー生産が追いつかないほど飛ぶように売れた
ーエンジンは鋭く回転し、加速は線形的
ーインプレッサ P1より全体の印象はソフト
ードラマチックなドッカンターボ
ーエスコート RSコスワースとインプレッサ P1 2台のスペック
3段ウイングも検討されていた
フォード・エスコート RSコスワースのトレードマークといえるのが、「ホエールテール」と呼ばれた巨大なリアウイング。描き出したのは、カーデザイナーのフランク・ステファンソン氏だ。
調整式のフロントスプリッターも組み合わされ、リアタイヤ側で最大19.5kg、フロントタイヤ側で4.5kgのダウンフォースを生成。量産車としては初めてだった。
デザイン初期には、3段ウイングも検討されていた。承認されなかったものの、実際にフランクのスケッチブックには、そのデザイン案が残されている。
一方で、プロドライブ社が独自に開発したインプレッサ P1は、当時の英国では2ドアボディが選べる唯一のスバル。ホモロゲーション・モデルのR22Bと同じボディだ。
エスコート RSコスワースより、インプレッサ P1の登場は8年ほど遅い。技術的にも進歩しており、1994ccの水平対向4気筒エンジンは、より滑らかにパワーを生み出す。最高出力も、53ps高い280psを発揮した。
ベースとなったのは、日本のみで売られていたWRX STi タイプR。ロータス・エスプリやマクラーレン1Fなどを手掛けた巨匠、ピーター・スティーブンス氏によって、前後のスタイリングに手が加えられていた。アルミホイールも専用品だった。
「パッケージングやエンジン、サスペンション、インテリア、スティーブンス氏によるスタイリング、ソニックブルーのボディカラーまで、これ以上はないという仕上がりでした」。と、プロドライブ社のデビッド・リチャーズ氏が振り返る。
生産が追いつかないほど飛ぶように売れた
「インプレッサ P1は、これまでにわたしたちが開発した限定モデルで最高の完成度を備えていました。型式認証を得たことで、1番の成功も残しました」
「英国スバルにとっても、販売面での成果は大きかったと思います。当初は500台の限定でしたが、需要が高く1000台ヘ規模を拡大。生産が追いつかないほど、飛ぶように売れたものです」
ボブ・フラー氏も、そのインプレッサ P1に飛びついた1人。納車までに半年ほど待ち、2000年から大切に乗っているという。製造番号は、548/1000だ。これまで22年の間に、少なくない改良が加えられている。
「プロドライブからP1が発売された時、公式にWR仕様のアップグレードも提供されていました。自分のクルマにも、かなりの数を装備させています。際立たせるためにね」。とフラーが笑顔を見せながら説明する。
ホイールは、標準では17インチだが、18インチへサイズアップ。330mmの大径ブレーキディスクも組まれている。
リアバンパーの下で迫力を効かせている太いマフラーも、プロドライブ社のもの。型式認証をスムーズにするため、生産後に取り付けるパーツとして売られていた。
2眼タイプのHIDヘッドライトは、プロドライブ社のものではない。だが標準より、夜間での視認性が大幅に改善するという。