欧州カー・オブ・ザ・イヤー歴代受賞車 一挙紹介 前編 無名の迷車・珍車も数多し

公開 : 2022.03.19 06:05  更新 : 2022.03.19 07:05

1982年:ルノー9

ルノー9は世界戦略車として設計され、試作車では220万kmを超えるテスト走行を実施。世界中のさまざまな市場で販売された。

保守的な設計とスタイルで、先代のルノー14よりもはるかに好評を博し、その機能性、快適性、ハンドリングが高く評価された。完全独立懸架のサスペンションや、当時としては珍しい5速のトランスミッションも欧州COTYにおける勝因となった。

1982年:ルノー9
1982年:ルノー9

現在ではほとんど忘れられているが、2000年までトルコで生産され、長寿を全うしている。米国でのみ販売されたコンバーチブル仕様もある。

1983年:アウディ100

欧州COTYの審査員に称賛されたのは、洗練性と低燃費。後者については、クラス最高の空気抵抗係数0.30を達成したことが、燃費の向上に一役買っている。当時としては過去最高の410点を獲得し、フォード・シエラに圧勝。 前輪駆動方式が上級車にも魅力的なレイアウトであることを証明した。

3代目100は、アウディが高級車メーカーになるための一助となったクルマだ。5000として販売された米国では「意図しない急加速」が問題となり、安全性が懸念されたものの、1990年のモデルチェンジまで100万台以上が生産された。

1983年:アウディ100
1983年:アウディ100

1984年:フィアット・ウーノ

新型プジョー205と首位を争ったウーノは、1971年から販売されている127の老朽化に伴う改良型であった。ウーノ(イタリア語で「1」の意)は、当時としては珍しいシングルワイパーを採用したことからその車名がつけられた。

手頃な価格と軽快なハンドリング、そしてわずか711kgという軽量も手伝って、優れた燃費性能でも審査員の度肝を抜いた。

1984年:フィアット・ウーノ
1984年:フィアット・ウーノ

ウーノは、今日まで続く小型車メーカーとしてのフィアットの地位を確立し、1989年に大規模なフェイスリフトを行ったが、1995年にその役目を終えた。その後、プントが後継車となった。しかし、発展途上国での人気は高く、ブラジルでは2013年まで販売されている。販売台数は900万台近くに達する。

1985年:オペル・カデット/ヴォグゾール・アストラ

英国ではヴォグゾール・アストラMk2として知られるオペル・カデットの最終モデル「E」は、1984年に発売。その革新的なデザイン、アップグレードされたインテリア、豊富なエンジンラインナップが審査員から高く評価された。

3ドア、5ドア、キャラバン(ワゴン)など、さまざまなバリエーションがこのモデルの人気を高め、最高出力117psを発揮するスポーティなGSiも登場している。

1985年:オペル・カデット/ヴォグゾール・アストラ
1985年:オペル・カデット/ヴォグゾール・アストラ

GM帝国の中で極限までバッジエンジニアリングされたカデットは、ブラジルではシボレーのクルマとして知られ、デーウ・ルマン(レーサー、ネクシアとしても知られる)の基礎ともなった。

1991年以降、オペル/ヴォグゾール間で車名をアストラとして統合し、現在もこの名称が使われている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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