ぶっ飛んだコンセプトカー 54選 前編 才能を持て余した技術者の遊び?

公開 : 2022.04.17 06:05

ピニンファリーナ・モデューロ(1970年)

キャノピーから密閉式ホイールまで、ほとんど市販車に使えないものばかり。このモデューロのデザインは、複雑なエンジニアリングと膨大なコストを必要とする問題の塊であった。

ピニンファリーナ・モデューロ(1970年)
ピニンファリーナ・モデューロ(1970年)

マツダEX-005(1970年)

都市型コミューターとして提案されたEX-005は、4人乗りだが、シートはプラスチック成型品で、快適性はほぼ皆無。また、耐候性が悪く、衝突安全性にも問題があった。しかし、ロータリーエンジンと電気モーターによるハイブリッドシステムは、先見の明があったと言える。

マツダEX-005(1970年)
マツダEX-005(1970年)

童夢・零(1978年)

ランボルギーニカウンタックよりも角ばったアグレッシブなデザインを描くのは難しいが、日本の童夢は零(ゼロ)でそれを実現した。ル・マンに参戦する計画だったが、残念ながら夢は叶わなかった。

童夢・零(1978年)
童夢・零(1978年)

ギア・アクション(1978年)

時間がなかったのか、それとも資金がなかったのかはわからないが、ギアは半分切り落とされたような車両を設計した。フロント部分では好調な滑り出しを見せたが、Bピラーまで到達したところで、プロジェクトに終止符を打ったようだ。

ギア・アクション(1978年)
ギア・アクション(1978年)

アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)

ウィリアム・タウンズ(1936~1993年)は生前、非常識なマシンをいくつも生み出したが、中でもこのブルドッグは最もクレイジーな部類に入る。当初はアストン マーティンのテストベッドとして25台を生産する予定だったが、やがて常識に目覚めたのか1台作られただけで終わった。この車両は現存し、大規模なレストアプロジェクトが行われたばかりである。

アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)
アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)

トヨタCX-80(1979年)

CX-80は、スターレットよりも道路占有面積が小さく、4人家族に十分なスペースを提供できるように設計された。それだけに、目隠しをした子供が描いたかのようなデザインは残念だった。トヨタのデザインとしては、最低の部類に入る。

トヨタCX-80(1979年)
トヨタCX-80(1979年)

シトロエン・カリン(1980年)

自動車デザイナーのトレバー・フィオーレが、アポロチョコを過剰摂取して描いたと思われるコンセプトがシトロエン・カリンだ。運転席が中央にあり、ドライバーの両脇と後ろに乗員が座る、マクラーレンF1のようなデザインである。

シトロエン・カリン(1980年)
シトロエン・カリン(1980年)

IADエイリアン(1986年)

エイリアンは従来の常識を覆すコンセプトであったが、取り外し可能なパワートレイン(エンジンやトランスミッションなどを後部のパックに押し込んでいる)は、最初から市販化など諦めていたかのようなものだ。しかし、衝撃的なスーパーカーの1つとして見事に人々の記憶に焼き付くことには成功したのである。

IADエイリアン(1986年)
IADエイリアン(1986年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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