空冷の水平対向12気筒+伝説のガルフカラー ポルシェ917K ル・マン連勝マシンに迫る 前編

公開 : 2022.05.07 07:05

396km/hの速さの割に荒削り感が漂う

タコメーターは8000rpmのレッドラインが頂部に来るよう、回転されている。忙しくマシンと格闘するドライバーの視界へ、可能な限り入りやすいように。

想像していた以上に、遥かに刺激的なコクピットだ。だが、レーシングカーとしても驚異的な396km/hという速さを持つマシンとしては、急いで組み立てたような荒削り感もなくはない。

ポルシェ917K(1971年)
ポルシェ917K(1971年)

ポルシェは、空冷の水平対向8気筒を搭載したレーシングカー、908の進化版といえる917を25台以上生産する必要があった。当時のFIA(国際自動車連盟)が定めた、スポーツ・プロトタイプの規則に合致させるため。

開発を主導したのは、フェルディナント・ピエヒ氏。チーフエンジニアとして、ハンス・メツガー氏が手腕を振るった。そのメツガーは、2020年6月にこの世を去っている。917のル・マン総合優勝から、50年後のことだった。

「ポルシェ908でも、1969年シーズンのレースを勝つのに、充分な能力を備えていたと思います」。とアトウッドが振り返る。「しかし、フェルディナントはより大きく速いマシンを求めたんです。何より、ル・マンでの勝利を目指して」

908と918は、どちらも軽量なスペースフレーム・シャシーで構成されている。だが、1969年の917には8気筒ではなく、4.5Lの水平対向12気筒エンジンが搭載された。

ポルシェとしては当時最大の排気量を持ち、ユニット上部の冷却ファンの両脇に、合計12基のスロットルボディが並んだ。吸気口には黒いカウリングが施され、ボディの中央から顕になっている。鍛え上げた背筋のように。

パワーウエイトレシオは786ps/t

エンジンは、1970年に4.9L版が、1971年には5.0L版が登場した。今回ご登場願ったのは、5.0L版。車重は800kg程度しかないが、629psもの最高出力を備えている。

パワーウエイトレシオは786ps/tに達し、最高速度は初期型でも378km/h。現代でも、一筋縄ではない数字だ。トランスミッションは、4速か5速が選択可能だった。

ポルシェ917K(1971年)
ポルシェ917K(1971年)

アトウッドが1969年のル・マンでヴィック・エルフォードとペアを組んだ時点では、マシンは完全に仕上がっていなかったという。アトウッドが回想する。

「ヴィックは、917が好きだと話していました。強がりだったと思いますが。恐ろしいほど不安定でしたから。テスト走行は飛行機の滑走路。最高速度は300km/hくらいかな、と想像していたのですが、実際には378km/hも出ていたんです」

「(1969年の)レースでは、何かが正しくないという感触がありました。ピットではミラー越しに後方が良く見えたのですが、ミュルザンヌ・ストレートではほとんど何も見えませんでした」

プライベーターとして、1969年のル・マンへポルシェ917で参戦したジョン・ウルフ氏は、オープニングラップで焼死してしまう。恐怖を感じていたのは、アトウッドだけではなかったのだろう。

一方のアトウッドは、ピットインを1度挟んで連続ドライブする、過酷なダブルスティントで戦った。フロントノーズが持ち上がり、ステアリングが不自然に軽くなることへの対処が、断続的に加えられた。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ベン・バリー

    Ben Barry

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マーク・アーバノ

    Marc Urbano

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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