自動車史上最悪の失敗 エドセル たった3年で消えた幻のブランド 前編
公開 : 2022.04.23 20:05
高収益の原価計算技術
フォードは、GMが少量生産のモデルを高い値段で売っているのに、どうやって採算をとっているのか不思議だった。ウィズ・キッズの活躍により、フォードは遅ればせながら原価計算の技術を習得し、リンカーンやマーキュリーがいかに損をしていたかを初めて知ることになる。
そして困惑した。GMの儲けの秘密は、全ブランドで3種類のボディサイズを使い、その類似性をクロームパーツやカラーリングで巧みに”ごまかし”、必要であればモデル特有のパネルをいくつか使用するというものだった。この仕組みが、エドセルのブランド計画のロケット燃料となったのである。
新ブランドの立案
新しい「E-car」(エドセルの名称が使われるようになるのはまだ先)の製品企画を担当したのは、製品企画責任者ルイス・クルーソー(1895~1973、写真)とウィズ・キッドの1人、ジャック・リースである。クルーソーはサンダーバードの生みの親であり、リースは経営難に陥っていたフランス部門を立て直したばかりであった。
2人はE-carだけでなく、リンカーンやマーキュリーも含めて、ビュイック、オールズモビル、ポンティアックをターゲットにした広範囲な戦略を立案した。
野心的な計画
クルーソー、リース両名の計画は、非常に野心的であった。フォード、エドセル、マーキュリー、リンカーンの3ブランドを中核に、新たに超高級車ブランド、コンチネンタルを加えるというものだ。
この計画では、すでに開発中の車体もあり、想定よりコストを抑えることができた。そして、フォードは5つ目のブランド、エドセルをフォードとマーキュリーの間に入れ、GMの「ビッグ5」に対抗するラインナップを完成させる。
ディーラー・ネットワークの拡大
リスクを伴う戦略であったにもかかわらず、フォードの取締役会は主にディーラー・ネットワーク計画に関心を寄せた。1955年の米国におけるディーラーは、フォードとマーキュリーが8000店、GMが1万6500店、クライスラーが1万店であった。
クルーソーとリースは、エドセル専用のディーラー・ネットワークを追加することで、店舗数を1万600店まで急速に拡大できると考えたのだ。
しかし、営業部長のジャック・デイビスは、新ブランドのためにマーキュリーを高級化することで、高いお金を払いたがらない顧客を失うことになるのではないかと懸念した。また、まったく新しい、まだ試されてもいないディーラー・ネットワークもリスクがあると考え、より慎重な拡大を望んでいた。
こうした心配をよそに、1955年4月15日、「E-car」計画は産声をあげる。