スポーティ・フォーマル ラゴンダV12 WO.ベントレーが手掛けたV型12気筒 前編

公開 : 2022.05.15 07:05

WO.ベントレー氏が設計したV型12気筒

ロールス・ロイスの技術者だった、スチュワート・トレジリアン氏の協力を得ながら、WO.ベントレー氏は新しい4480ccのV型12気筒エンジンを設計。1936年のロンドン・オリンピア見本市会場で、ラゴンダV12がプロトタイプとして発表された。

だがその時点では、仮で作られたエンジンには木製の模造部品が一部に用いられていた。ツインのSUキャブレターも載っていなかったという。

ラゴンダV12(1938〜1940年/英国仕様)
ラゴンダV12(1938〜1940年/英国仕様)

ロールス・ロイス・ファントムIIIが積む、滑らかに回転する7.3L V12エンジンが強く意識されていた。クランクシャフトへ掛かる負荷を減らしつつ、エンジン長を抑えながら高出力を得る現実的な方法でもあった。

反面、技術的な野心は高くても、材料技術が追いついていなかった。ラゴンダに限らず、当時の英国のV型12気筒は信頼性が弱点ではあった。少なくとも、直列6気筒より182psを発揮するV12の方が、走りの訴求力が高かったことは間違いないが。

そのV型12気筒は、シリンダーヘッドとエンジンブロックがニッケル合金製。バンク角60度で、軽量なコネクティングロッドが用いられ、5500rpmの回転数まで耐えることができた。

バランス取りされ、オーバーヘッドのカムシャフトはギアとチェーンで駆動。オイルポンプを2基搭載し、1基はメイン・ベアリングとビックエンド・ベアリングを潤滑。もう1基は、ヘッド側を受け持った。

ほかにも、デルコ社製のディストリビューターは各バンクに1基つづ、オイルフィルターも2本。燃料タンクの給油口が2か所で、燃料ポンプも2基備わっている。

ラインオフ前に480kmの走行テスト

ラゴンダは製造品質にもこだわった。新しいエンジンは英国南部、ステーンズに構えた工場で組み上がると、5時間のテスト稼働に掛けられた。さらに最高出力が計測され、新しいバルブでリビルド。約480kmのテスト走行も実施された。

シャシーはボックスセクションで、低重心化に焦点が向けられていた。軽量化のためにスチール材を薄くしつつ、各部に補強ブレースが組まれた。エンジンとトランスミッションは別体で搭載され、その間にも補強材が加えられている。

ラゴンダV12(1938〜1940年/英国仕様)
ラゴンダV12(1938〜1940年/英国仕様)

油圧ジャッキが内蔵され、シャシー潤滑は自動化。当時は、可動部分への定期的なグリスアップが必要だった。サーモスタットで可動するラジエターシャッターなども備わり、現代水準の容易さで乗れることが目指されていた。

シャシー剛性が高められたことで、サスペンションは柔軟にできた。フロントは、ボールジョイントのウイッシュボーンに、152cmも長さがあるトーションバーが組まれた独立懸架式。リアには半楕円リーフスプリングと、堅牢なデフを採用している。

ラゴンダV12のシャシーは、3種類の長さから選択が可能だった。約3.15mのホイールベースのものは、主にフランク・フィーリー氏がデザインしたドロップヘッド・クーペ用。約3.35mと3.5mは、サルーンとリムジン用だ。

サルーンには視覚的な統一感を持たせるため、背の高いラジエターグリルが組まれた。ルーカス社製のP100ヘッドライトは、ラゴンダV12共通の光源。そんなクラッシックの現存数は、合計で100台程度だと考えられている。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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