BMC特有の不思議な魅力 直列6気筒のオースチン3リッターとウーズレー・シックス 前編

公開 : 2022.06.11 07:05

評価に優れなかった2.9Lの直6エンジン

1968年にBMC社はレイランド・モーターズ社と合併し、ブリティッシュ・レイランド(BL)社として再編。傘下に加わったローバーの上級モデルや、ジャガーの手頃なモデルと、内部競争が生じることになった。

特にオースチン3リッターのライバルになったのが、1967年のローバーP5B。こちらは庶民のロールス・ロイスとして、高い人気を集めていた。

オースチン3リッター(1967〜1971年/英国仕様)
オースチン3リッター(1967〜1971年/英国仕様)

自動車メディアが3リッターを本格的に評価し始めたのは、1969年になってから。新車価格がAT車で1900ポンドと高く、ツイン・キャブレターを積んだオースチン1800 Sと比較した場合、価格価値で勝らないことは明らかだった。

格下といえた1800 Sの最高速度は、160km/h近くへ達していた。FFで車内にはトランスミッション・トンネルがなく、3リッターより車内にはゆとりもあった。

特に否定的な意見が集中したのが、2912ccの直列6気筒エンジン。MGCと共有のCシリーズ・ユニットで、7ベアリング化されていたものの、開発コストが抑えられていた。燃費は優れず、P5Bと比べて加速性能も劣っていた。

それでも、3リッターはボディの特装を手掛けるコーチビルダーには歓迎された。クレイフォード・エンジニアリング社は3台のステーションと13台のリムジンを制作している。また霊柩車へも多数コンバージョンされている。

後継として誕生した2.2Lのシックス

経営にもがいていたBMC社が、苦しみながら誕生させた3リッター。実用性と適度な豪華さを備え、アメリカ車に媚びたスタイリングとは異なる、ひと回り大きいモデルを欲した英国人へ届けることが目指されていた。

農場の経営者や裁判官、公務員、会社の役員などがターゲットだった。運転手を雇うような人も想定されていた。だが実際は、1970年代初頭にそんな層は多く存在しなかった。

ウーズレー・シックス(1972〜1975年/英国仕様)
ウーズレー・シックス(1972〜1975年/英国仕様)

ウーズレー仕様としてV8エンジン版が投入されていれば、市場の反応は違ったかもしれない。先進的なサスペンションに、剛性の高いボディシェルが与えられ、少なくとも操縦性は以前のウェストミンスターより優れていた。

ミニのチューニングを得意としていたダウントン・エンジニアリング社と共同で、高性能なエンジンを開発しても良かっただろう。創業者のダニエル・リッチモンド氏は3リッターを個人的に購入し、Cシリーズを119psから177psへ強化したという話もある。

今ひとつ精彩に欠けた3リッターだったが、2227ccの6気筒エンジンを搭載した新たなサルーンが後を継いだ。それが、1972年のオースチン2200とモーリス2200、ウーズレー・シックスだ。

ミドルサイズ・サルーン、フォード・グラナダへの対抗モデルでもあり、シックスはウーズレーのフラッグシップでもあった。伝統あるブランド名を冠した、当時唯一のモデルだった。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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