マセラティMC20にスパイダーモデル「チェロ」登場 大胆デザイン 3385万円~

公開 : 2022.05.26 03:30

「空」を名乗るマセラティMC20のスパイダーモデル「チェロ」が登場。大胆なデザインと繊細なインテリアを紹介します。

MC20スパイダーが登場

マセラティが久々に放ったミドシップスーパースポーツのMC20にスパイダーが追加されることは、そのクーペ版が発表された2020年9月の段階で示唆されていた。

しかし、それがオープントップがメタルタイプのリトラクタブル式ハードトップになるのか、キャンバス素材を用いたソフトトップとされるのかは明らかにされておらず、これまでファンをやきもきさせてきたといえるだろう。

マセラティMC20チェロ
マセラティMC20チェロ    マセラティ

2022年5月25日にイタリア・モデナのマセラティ本社でおこなわれたワールドプレミアは、この論争に終止符を打つことになった。

その答えは、大方の予想どおりリトラクタブル式ハードトップ。ただしルーフ自体は金属製でなくガラス素材とされた。

それも、スイッチ1つで透明な状態から不透明な状態へと変化(もちろん、その反対も可能)できるエレクトロクロミック物質を応用したガラス素材とされたのだ。

ちなみに不透明な状態では外光のおよそ97%をカットし、透明な状態ではこれが70%程度になる模様。

したがって、透明の状態でも強い陽射しをある程度は遮ってくれそうだ。

マセラティによると、このガラスルーフは「ポリマー分散型液晶技術」を用いたもので、瞬時に濃度が変わることに特徴があるという。

ちなみに、ガラス製リトラクタブルハードトップをこのクラスで標準装備するのは、MC20が初めてだとマセラティは主張している。

「空」を名乗るMC20

ここでマセラティMC20チェロ(イタリア語で「空」の意味)のエクステリアデザインを観察してみることにしよう。

正面もしくはサイドから見たMC20チェロのスタイリングはクーペ版とほぼ変わらない。

マセラティMC20チェロ
マセラティMC20チェロ    マセラティ

しかし、真後ろから見ると、クーペ版との違いが明らかになる。

ドライバーとパッセンジャーの頭部にあたる部分だけがフェアリング風に高く盛り上げられており、その間は垂直に切り立ったリアウィンドウで埋められている。

同様のデザイン処理はフェラーリF8スパイダーやマクラーレン720Sスパイダーでも採用されているが、エンジンカバー兼リアウィンドウを透明な樹脂素材で構成してファストバックを形作っていたMC20のクーペ版とは、この点がスタイリング上の最大の違いといって間違いない。

大胆なブランドロゴを纏う

MC20チェロをオープントップにすると、前述したガラス製ハードトップはアルミ製エンジンカバーの下側に収納されるが、興味深いのは、マセラティのシンボルであるトライデントのステッカーをこのエンジンカバー上に貼り付けられる点にある(オプション設定)。

これはマセラティのチェントロスティーレが考案したデザインだそうだが、ここまで大胆にブランドのロゴを描いたスーパースポーツモデルは空前にして絶後かもしれない。

マセラティMC20チェロ
マセラティMC20チェロ    マセラティ

ちなみにルーフの開閉に要する12秒で、このクラスではかなり速い部類だろう。

ハンドリングや動力性能などの点でクーペと目立った差がないこともチェロの特徴の1つ。

車重はクーペに対して60kg増えているが、ボディ剛性はカーボンコンポジットモノコックを補強することでほぼ同等に仕上げたという。

エアロダイナミクスもクーペにごく近く、ダウンフォースは同等で、ドラッグが2%増えたのみ。

このため、0-100km/h加速についてはクーペと同じ2.9秒以下を見込んでいるほか、クーペでは325km/h以上と発表している最高速度に関しても、「正式な認証試験のためはっきりとはいえないが、2-3km/h低下する程度だろう」とエンジニアのひとりは語っていた。

重量増に伴ってサスペンションはスプリング、ダンパーともにやや硬められたが、快適性やハンドリングはクーペと同じレベルに設定したとの由。

ただし、電子制御式リミテッドデフはロッキングファクターをわずかに低くすることで、よりリラックスしたドライビングを可能にしたという。

MC20チェロには、360°カメラや衝突被害軽減ブレーキなどの運転支援装置、そして液晶を用いた新しいドライビングモード切り替えスイッチなどが新たに設定されることとなった。

同様の装備は、2023年モデル以降のクーペにも用意される予定である。

記事に関わった人々

  • 執筆

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。

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