地中海沿いに1万3000km走破 モーリス・ミニ・マイナーMk1 貴重な初期の生存車 前編

公開 : 2022.07.02 07:05

新車時に英国編集部がグランドツアーへ連れ出したミニ。日本で余生を過ごし、英国でレストアされた1台をご紹介します。

現存250台といわれるMk1の1台

1950年代を振り返ると、名車と呼ばれる存在の多さに改めて気付かされる。燃料インジェクションとガルウイングドアを採用したメルセデス・ベンツ300SLや、シトロエンDS、フェラーリ250など、どれをとっても個性豊かだ。

なかでも特にデザインという視点で評価すべき1台を、イタリアのデザインスタジオではなく、英国のモーリス社が生み出している。新しい着眼点と解決方法で大きな成功を掴み取った、1959年のミニ・マイナーだ。

モーリス・ミニ・マイナー Mk1(1959年/英国仕様)
モーリス・ミニ・マイナー Mk1(1959年/英国仕様)

今回ご紹介する667 GFCのナンバーを付けたミニは、実はAUTOCARにとっても特別な1台。それを知らずとも、初めて見るような子供から古い思い出を持つご年配まで、スライド式のサイドウインドウへ引き寄せられるように集まってくる。

ボディから露出したドアのヒンジと楕円形のテールライトに、フロアから伸びる長いシフトレバー。最初期型のディティールへ気が付けば、ミニ・マニアのような人も強く関心を寄せるはず。

オリジナルのミニ・マイナー Mk1は、合計2万2000台が生産された。だが、現存すると考えられているのは250台足らず。この真っ赤なクルマは、その1台に当たる。

アレック・イシゴニス氏による天才的なコンセプトが、最も瑞々しく表現されているのが、この初期型だといえる。改良が加えられながら2000年まで約530万台生産されたが、シンプルでアイコニックな成り立ちでいえば、Mk1が1番だろう。

地中海沿いに1万3000kmのグランドツアー

恐らく、生き残ったMk1でも特に状態の良い667 GFCだが、シャシー番号は丁度100番。英国で広く知られる最古のミニの1台、621 AOKのナンバーのクルマより早期に生産されたことになる。

しかし、ボディは1960年のもの。エンジンも同様で、工場から出荷された時期とは一致しない。その理由は、筆者の先輩が関係していた。

モーリス・ミニ・マイナー Mk1(1959年/英国仕様)
モーリス・ミニ・マイナー Mk1(1959年/英国仕様)

1959年の夏に華々しくデビューしたミニは、市民のカーライフを独創的なアイデアで解決した。同時に、モーリス・ブランドを擁していたブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)は、前例がないほど巨大なキャンペーンを世界中で展開した。

100か国で販売される新モデルとして、約2000台の初期型が世界の主要都市へ届けられた。広報用車両としても33台が準備され、自動車メディアに貸し出された後、デモカーとして各拠点へ配置された。

1959年の夏にBMCが用意したMk1のなかで、この667 GFCはAUTOCARと縁が深い。当時のジャーナリスト、ロナルド・ステディ・バーカーとポール・リヴィエールが、長期テスト車両として短くない時間を一緒に過ごしているのだ。

近年の出版業界は厳しい状態にあるが、1959年は予算を潤沢に使えた。今より大胆なロードトリップも可能だった。英国内の自然公園を巡る以上の冒険を実行できた。

その当時計画された内容は、欧州を横断し地中海沿いに北アフリカをまわり、英国へ戻ってくるという1万3000kmのグランドツアー。バーカーはこの自動車旅行でミニの能力を確かめ、BMC側は耐久性を分析できると考えたらしい。

記事に関わった人々

  • 執筆

    グレッグ・マクレマン

    Greg Macleman

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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