F1の歴史を守り続ける秘密の「整備工場」 マクラーレン・ヘリテージの驚くべきコレクション
公開 : 2022.06.25 18:05
技術の継承 熟練技術者と若手の協力関係
マクラーレンのヘリテージコレクションに展示されているクルマの年式を考えると、ここで働く人々の若さには目を見張るものがある。クリス・クーサルも、そんな若手メカニックの1人だ。6年前に見習いとして入社した彼は、自動車製造や車両力学などさまざまな部署で働いた後、3年前にこの仕事に就いた。
「レース部門での仕事がなかったので、マクラーレンがヘリテージ部門に仕事を作ってくれたんです。素晴らしい経験で、本当に嬉しいですよ」
クーサルによると、新しいクルマが最も難しいという。「パッケージがより複雑になっているからです。すべてが細かくなって、作業が難しくなるんです」
とはいえ、古いクルマに幻想を抱いているわけではない。
「クルマの組み立て方が、わたしが学んできたものとはまったく違うのです。メートル法のクルマに慣れているのに、帝国単位(フィートやポンドなど)に頭を悩ませるなんて、おかしな話ですよ」
クーサルのような若手にとって、ラルやウィーラーのような先輩はありがたい存在だ。どのソケットがどのナットに合うか、どのネジがどの方向に動くかなど、彼らは細かいことまで覚えているのだ。24時間365日、クルマと向き合い、生きてきたからこそできる芸当である。
F1チームでメカニック経験のあるスタッフも
マクラーレン歴38年のゲイリー・ウィーラーは、誰が一番優れたドライバーかを判断するのに十分な経歴を持っている。彼はためらうことなく、アイルトン・セナの名を挙げる。
ウィーラーは、1982年にエマーソン・フィッティパルディの名を冠したレースチームで働き始め、そこでセナと知り合うことになった。当時はまだセナがトールマンと組んでF1に参戦する前だったが、ブラジル人のチコ・セラとは知り合いで、南米のつながりから2人はよくエマーソンのチームを訪れていたという。
1984年、マクラーレンに移籍したウィーラーは、ピザ屋でセナにばったり会った。セナはメディアとの接触を避けるため、店の隅っこに隠れていた。ウィーラーはセナに気づくと、「もしマクラーレンでレースすることになったら、自分をメカニックに指名してくれ。そうしてくれたら何も言わないから」と頼んだそうだ。
4年後、セナは約束を守った。「ロン(デニス)やホギー(マールボロのマーケティング責任者、ジョン・ホーガン)と交渉していたとき、セナは彼らに、わたしをメカニックにしてほしいと言ってくれたんです」とウィーラーは語っている。
「彼が(マクラーレンを)去るときは悲しかったのですが、いつか必ず戻ってくると思っていました。わたし達は、彼に必要なクルマを与えることができなかった。彼は信じられないほど忠実な人でした。マクラーレンにいる間、ずっと同じメカニックを使い続けていたんです。でも、彼はドライバーとして、わたし達とは別の次元にいました」