ロンドンからメキシコへ辿り着ける? 1970年ワールドカップ・ラリー挑戦マシン 前編
公開 : 2022.07.17 07:05 更新 : 2022.11.01 08:49
フォード・エスコート Mk1(1969年)
オーナー:フォード・ヘリテイジ(スチュアート・ブラック氏、デヴィッド・ギルモア氏、イアン・ダンボビン氏)
この記念イベントに欠くことができないマシンが、ハンヌ・ミッコラ氏とグンナー・パーム氏のペアで優勝した、フォード・エスコート Mk1に他ならない。英国フォードによって維持管理され、オリジナル状態が保たれている。
「クラッシュした過去すらありません」。と説明するのは、フォード・ヘリテイジ部門のスチュアート・ブラック氏。「ラリーの後にリビルドされているはずです」。と、同僚のデヴィッド・ギルモア氏が続ける。
フォードは堅牢なマラソンラリー・マシンの開発に当たり、ボディシェルの剛性を高めた。追加の溶接だけでなく、フェンダーからルーフへ伸びる太いバーも、その1つだった。
「テスト走行で何度もジャンプを繰り返しました。その結果、Aピラーの付け根付近でボディがねじれると判明したんです。このバーは強化対策として、ストラットマウントの上部とロールケージを結んでいます」。とブラックが話す。
サスペンションも強固なアーム類が組まれている。ブレーキは、フロントがコルティナ Mk2用で、リアがロータス・エラン用のディスクを装備する。
1968年のロンドン・シドニー・マラソンラリーへも、フォードはロータス・コルティナで参戦している。だがラリー仕様のツインカム・エンジンは耐久性に問題があり、1970年のロンドン・メキシコでは、1850ccのケント・エンジンが採用された。
「エンジンへの負荷が低く、品質の悪いガソリンでも問題なく走行可能でした」。とブラック。FEV 1Hのナンバーで登録されたエスコート Mk1は、グッドウッド・フェスティバルなどのイベントへも定期的に姿を見せている。
トライアンフ2.5 PI(1970年)
オーナー:パトリック・ウォーカー氏
ロンドン・シドニー・マラソンラリーを、ヒルマン・ハンターで優勝したラリードライバーのアンドリュー・コーワン。パトリック・ウォーカー氏が所有しているトライアンフ2.5 PIは、コーワンがロンドンからメキシコを目指したクルマ、そのものだ。
そのロンドン・メキシコ・マラソンラリーでは、ブリティッシュ・レイランド傘下にあったトライアンフが活躍。2位と4位という成績を残している。だが、コーワンは先行するオースチン・マキシの砂埃に視界が奪われ、アンデス山脈でリタイアに終わった。
ラリーを終えた1970年、ブリティッシュ・レイランドはワークスチームを解散。トライアンフは、すぐに売却されてしまった。
そのクルマをブライアン・イングルフィールド氏というドライバーが、予備のボディシェルと一緒に購入。準備を手早く終わらせ、同じ年の英国RACラリー参戦を果たした。
ヒルマン・ハンターやオースチン・マキシ、オースチン1800なども所有する、マラソンラリー・マニアのウォーカーは、2005年にトライアンフ2.5 PIを購入したという。
「これは興味深い過去を持つクルマで、1番のお気に入り。標高に合わせて、車内から燃料の混合気を調整できるユニットが付いています。標高4800mという高地も走りましたからね」。ウォーカーが笑顔で説明する。
「始動時に使うチョークとは、逆の機能のようなものです。知っている限りでは、ちゃんと残っているのはこのクルマだけですね」
この続きは後編にて。