ロンドンからメキシコへ辿り着ける? 1970年ワールドカップ・ラリー挑戦マシン 後編

公開 : 2022.07.17 07:06  更新 : 2022.11.01 08:49

フォード・エスコート・メキシコ(1973年)

オーナー:ジェレミー・タイソン氏

ロンドン・メキシコ・マラソンラリーでの勝利は、フォード・エスコート Mk1をラリーマシンとしての伝説に押し上げた。販売にも直結し、最も人気の高い記念仕様、エスコート・メキシコの誕生へも繋がった。

フォード・エスコート・メキシコ(1973年)とジェレミー・タイソン氏
フォード・エスコート・メキシコ(1973年)とジェレミー・タイソン氏

近年のモータースポーツを想起させる特別仕様車とは異なり、エスコート・メキシコはボディにステッカーを貼り、ホイールが交換されただけのクルマではない。ボンネットの内側には、勝利へ導いた1599ccのケント・エンジンが納まっている。

唯一、市販車ではエスコート・メキシコのみに搭載されたユニットだ。専用サスペンションも組まれている。少々のステッカーも。その結果、手頃な価格の高性能モデルとして仕上がった。

現オーナーのジェレミー・タイソン氏は、このブルーのエスコート・メキシコを31年間も所有している。資金がないなか、オークションで1010ポンドで競り落としたらしい。

「クルマは腐っていました。オークションではクルマは自走せず、人が押していましたね」。と振り返るタイソンだが、ラリーを愛する気持ちで丁寧にレストアを進めた。オリジナルのホワイトのストライプは、好みではなかったという。

「昔からフォード・ファンで、趣味として購入しました。でも、結果的に楽しさが止まることはなく、生涯の友人のような存在です」

トライアンフ2.5 PI(1970年)

オーナー:デビッド・ピアソン氏

ロンドン・メキシコ・マラソンラリーは、ワークスチームだけでなく、多くのプライベーターも参戦した。プジョーで挑んだアルゼンチンのチームや、トライデントという、今はなきスポーツカーで走った人もいる。

トライアンフ2.5 PI(1970年)とデビッド・ピアソン氏
トライアンフ2.5 PI(1970年)とデビッド・ピアソン氏

そこには、ボビー・ブキャナン・マイケルソンという裕福な英国人もいた。トライアンフ2.5 PIのワークスマシンを用意してもらい、コ・ドライバーにはブリティッシュ・レイランドのワークスドライバー、ロイ・フィドラーを指名したらしい。

だが、マイケルソンのクルマは欧州を最後まで横断できなかった。リア・サスペンションのスプリングがイタリアでは破損。燃料インジェクションも不調で、結果的にリタイアしている。

現オーナーのデビッド・ピアソンは13年前にその2.5 PIを購入し、レストアで当時の姿を蘇らせた。走行距離は、わずか1万6000kmを過ぎた程度だという。

「1970年のわたしは小学生で、ノートに2.5 PIのいたずら書きをしていました。まさか、本物を発見できるとは」。と振り返るピアソンだが、クルマは何年も外に放置された状態だった。

実際の状態は見た目ほど悪くなく、ルーフパネルの交換程度でボディは済んだという。そんな彼は現在、知人の2.5 PIのレストアを手伝っている。

それは、ワークスカーとしてテストに用いられ、多くのドライバーによって運転された過去を持つ1台。ロンドン・メキシコでは、プログラムブックの表紙にも登場したというから、レストアしないわけにはいかない。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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