ヴィンテージ・サウンドに包まれる タルボ・ラーゴT26 GSL パリ製の4.5L直6 前編

公開 : 2022.07.23 07:05

再生計画を任されたトニー・ラーゴ

イタリアの北部、ヴェネツィア近郊で生まれたというトニー・ラーゴは、アメリカの航空機用エンジンを手掛けるプラット&ホイットニー社で活躍。英国では、オーバーヘッド・バルブ・エンジンの開発にも関与している。

グレートブリテン島の中央、コベントリーのセルフ・チェンジング・ギアズ社では取締役を務め、プリセレクター・トランスミッションの販売権を広域に獲得。彼はこの技術に強く惹かれ、タルボ・ラーゴのモデルへも大きな影響を与えている。

タルボ・ラーゴT26 GSL(1953〜1955年/欧州仕様)
タルボ・ラーゴT26 GSL(1953〜1955年/欧州仕様)

1932年にタルボ・ブランドの再生計画を任されると、その3年後に自ら買収。投資家の援助を借り、ルーツ・グループから経営権を引き継いだ。

タルボ・ラーゴの名のもと、4気筒から6気筒、2.3Lから4.0Lまでのモデル・ラインナップが再構成された。ラグジュアリー・サルーンや7シーターのリムジンだけでなく、高性能なT150 SSやT150 ラーゴ・スペシャルなどを市場へ投入している。

特にT150は、ティアドロップ型のフォルムに、タイヤスパッツの付いたスタイリングが特徴。フランスのコーチビルダーの、芸術的才能が前面に表れていた。

第二次大戦大戦が始まると、イタリアの市民権を持っていたトニー・ラーゴは、航空機エンジンの製造をドイツ軍から請け負った。ビジネスに関しては、ドライな考え方を持っていたようだ。

平和が訪れた1946年、レコードT26と呼ばれる新モデルを発表。フィアットにも在籍していた技術者のマルケッティへ協力を仰ぎ、戦時中から準備が進められていた。

213psの直6エンジンで196km/h

T26 GSLの発表は、1953年10月。シャシーは、過去のモデルよりホイールベースが短く、サスペンションはフロント側に新開発のコイルスプリングを採用。モダンなルックスの、準量産モデルとして開発された。

直列6気筒エンジンのカムシャフトは新開発のアグレッシブなもので、ピストンの圧縮比は8:1。ソレックス・キャブレターを3基載せ、品質が良くなっていたガソリンの性能を引き出し、最高出力は213psを発揮した。

タルボ・ラーゴT26 GSL(1953〜1955年/欧州仕様)
タルボ・ラーゴT26 GSL(1953〜1955年/欧州仕様)

美しいボディは、肉厚のスチール材をガス溶接して成形。美しいラインが、職人の手で打ち出された。ドアとボンネット、ブーツリッドには木材のフレームとアルミニウム・パネルが用いられていたが、GSLの車重は1.8t前後で軽量とはいえなかった。

ボディのデザインは、コーチビルダーによるスペシャルボディと、1950年代風のフィンの付いたスタイリングの特徴とが、絶妙に融合されている。柔らかなラインが、独特の趣を漂わせる。

それまでのタルボ・ラーゴや欧州の上級グランドツアラーと同様に、GSLの多くは右ハンドル車だった。BMW V8エンジンを搭載した北米市場向けモデルを1956年に発売するまで、左ハンドル車を同社は作っていない。

トランスミッションは、トニー・ラーゴが好んだプリセレクター。1000rpm当たり46.6km/hという比率のトップギアへシフトアップすれば、最高速度は196km/hに届く計算だった。実際に計測されたわけではないが。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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