エンジンに失望させられた名車 24選 パワー不足や故障に泣いた不運のモデルたち

公開 : 2022.07.09 06:05

NSU Ro80(1967年)

Ro80のヴァンケルエンジンは破滅的に脆く、これを製造した会社を倒産に追い込んでしまうほどであった。Ro80自体は、空力に優れたデザインとセミオートマチック・トランスミッションを備えた素晴らしいクルマだ。しかし、搭載されているワンケル型ロータリーエンジンは、ローターが摩耗して圧縮不足になり、乗り出し2万km以内で完全に壊れることがよくあった。

保証請求が殺到し、財務が立ち行かなくなったNSUは、1969年にフォルクスワーゲンの傘下に入ることになる。1977年にはRo80もラインナップから消え、NSUの名は墓標に刻まれた。

NSU Ro80(1967年)
NSU Ro80(1967年)

オースチン3リッター(1967年)

オースチン3リッターは、偉大になり得た(なるはずだった)魅力的なクルマであることは否定できない。大きくてゴージャスな3リッターは、本来なら優れた乗り心地とハンドリングを備えているべきだったが、実際にはどちらも叶わず。

そして直6エンジンは、オースチン・ヒーレー3000に搭載されていたものをベースにしていた。残念なことに寿命は短く、製造された9992台の3リッターのうち、多くがエンジンの早期故障で廃車となっている。

オースチン3リッター(1967年)
オースチン3リッター(1967年)

トライアンフ・スタッグ(1970年)

手頃な価格の4シーター・コンバーチブルにV8エンジンを搭載。しかもミケロッティのスマートなスタイリングだ。気に入らないわけがない。しかし、そのV8はスタッグ独自の3.0Lユニットで、弱いタイミングチェーン、ゆがんだシリンダーヘッド、冷却水の流れが悪くなりオーバーヒートを引き起こすなど、多くの不具合に悩まされた。

7年間で2万5939台が製造され、そのうち主要市場の米国に渡ったのはわずか10%であった。ブリティッシュ・レイランドは、メルセデスSLに匹敵するクルマとして、販売台数、知名度ともに期待していたのだが……。

トライアンフ・スタッグ(1970年)
トライアンフ・スタッグ(1970年)

ジェンセン・ヒーレー(1972年)

その名の通り、ジェンセンとヒーレーのコラボレーションにより誕生した、2シーター・スポーツカー。市販車として世界で初めて1気筒4バルブのエンジンを搭載し、センセーショナルな存在となるはずだったが、米国の安全基準への対応で外観が崩れ、ツインカム16バルブエンジンも大失敗に終わった。

ロータス製のこのエンジンは、過熱するとシリンダーヘッドが簡単にゆがんでしまうなど、弱点だらけのユニットだったのだ。

ジェンセン・ヒーレー(1972年)
ジェンセン・ヒーレー(1972年)

トライアンフ・ドロマイト・スプリント(1973年)

エンジンの優秀さゆえに名を上げ、そしてエンジンの脆さゆえにここで取り上げることになったスプリント。トライアンフ・ドロマイトをベースにしたモデルで、高い性能と高級感を備えている。

しかし、全合金製のエンジンはオーバーヒートを起こしやすく、ヘッドガスケットが飛んだり、シリンダーヘッドがゆがんだり、ファンの焼き付きに見舞われることも少なくなかった。

トライアンフ・ドロマイト・スプリント(1973年)
トライアンフ・ドロマイト・スプリント(1973年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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