イタリア仕立てのシトロエンDS ボサートGT 19 フルア・デザインの希少クーペ 後編

公開 : 2022.07.31 07:06

1960年から1964年に13台を製造

2人はGT 19の仕上がりに満足し、1960年10月のモントレー自動車ショーで発表。翌年のパリ自動車ショーでは、DSとIDをベースにした2台を展示している。

「DSを購入して、GT 19へコンバージョンするのに必要だった費用は、当時のジャガー以上だったと記憶しています」。とフレデリックが説明する。軽快な走りと、大きな荷室による実用性をPRしたが、販売は簡単ではなかった。

シトロエンDS ボサートGT 19(1960〜1964年/欧州仕様)
シトロエンDS ボサートGT 19(1960〜1964年/欧州仕様)

ジェリーとボサートは、シトロエンから正式にボディ改造の許可を15台ぶん得ていた。だが、エンジンに関しては約束を取り付けていなかった。

「シトロエンの担当者は、祖父がシリンダーヘッドなどの部品も注文していることに気が付きました。エンジンも改造していると知り、保証について話が及んだようです。祖父は交渉に耐えきれず、シトロエンとは破談に」

「部品はフランスで入手できなくなったものの、隣国のベルギーから購入していました。しかし、11台目を作った辺りで、祖父は自分で面倒なことを巻き起こしていると考えたようです」

「経済的には充分な状態にあり、ジェテ社を閉めると決断しました。メカニックの仕事にはやりがいを感じていて、1977年までワークショップは続けていますが」

1960年から1964年に製造されたボサートGT 19は合計13台。そこには、ヘッドライトにカバーの付いたコンバーチブルも含まれている。また、1966年にもフルア社からの部品を利用して2台が作られているが、オリジナルほど美しくはなかった。

最もイタリアンなシトロエンDSのクーペ

フロントガラスやホイール、エンブレム、ボディサイドのトリム、燃料キャップなど、GT 19はそれぞれ微妙に異なる。だが惜しくも、限界領域での操縦特性がトリッキーだったこともあり、多くがクラッシュで失われている。

現在生き残っているのは、今回ご登場願ったクーペと、最後に作られたコンバーチブルの2台のみ。クーペの方は9番目に作られたGT 19で、フランスの不動産業者、ラ・ガレンヌ社が1963年10月21日に購入している。

シトロエンDS ボサートGT 19(1960〜1964年/欧州仕様)
シトロエンDS ボサートGT 19(1960〜1964年/欧州仕様)

「その後、有名なシトロエン・コレクターであるデニス・ジョアノンさんが所有していました」。と説明するのは、現オーナーのクリストフ・パンド氏。

「1994年に彼を尋ねると、美しいクーペが目に留まったんですよ。フランス北部に住んでいたので、ボサートには以前から興味を持っていました。彼は、1982年にパリで発見したと話していました」

「わたしの手元へやってきたのは、2021年の11月。DSのクーペは少量ながら数社が手掛けていますが、GT 19は最もイタリアンな仕上がりだと思います。フロント半分はフラミニオ・ベルトーニ、リア半分はピエトロ・フルアのデザインなんですから」

このクルマを完璧なものにするなら、やはりボサートがチューニングした4気筒が欲しいところ。ショート・シャシーに140psのエンジンが載れば、1960年代のグランドツアラーとして不足ない能力を獲得することだろう。

シトロエンは、1955年のDSではクーペを作らなかった。だが1970年のSMで、この素晴らしいアイデアを取り入れたのだった。

協力:クリストフ・パンド氏、パトリック・ボサート氏、フレデリック・ボサート氏、レ・ギャレリ・デ・デミエース社

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    セルジュ・コーディ

    Serge Cordey

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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