米国人にはウケなかった欧州車 22選 悪いイメージと文化の違いで売れないクルマたち

公開 : 2022.07.24 18:05

メルクールXR4Ti

ドイツのカルマンがフォード・シエラをベースに製造し、米国ではピント・ファミリーの2.3Lエンジン「Lima」を搭載して販売されたモデルである。そのルックスは、シエラに見慣れた欧州ではまだしも、米国ではいささか奇抜に見えた。また、ブランド名の発音の問題もつきまとった。ドイツ語では「マーキュリー」を意味するメルクール(Merkur)だが、英語ではうまく読まれなかったそうだ。

販売台数については資料によってバラつきがあるが、1985年から1989年のモデルイヤーで5万台以下だったようだ。

メルクールXR4Ti
メルクールXR4Ti

プリムス・クリケット

プリムス・クリケット(Cricket)は、欧州で販売されていたヒルマン・アベンジャーの米国版である。1967年にクライスラーが英国のルーツ・グループを買収し、傘下のヒルマンブランドから後輪駆動の小型セダンとして販売していたものを、名前を変えて米国に持ち込んだのだ。

1970年、クリケットは米国に上陸したが、国内製造ではなかったため(英国製)に消費者は否定的な反応を示した。1971年の販売台数は、当時ライバルだったシボレー・ベガやフォード・ピントの10分の1程度にとどまり、2年で廃止となった。

プリムス・クリケット
プリムス・クリケット

ルノー・ドーフィン

ドーフィン(Dauphine)は当初、米国での販売に成功し、年間販売台数はすぐに10万台を超えた(1950年代後半の輸入車としては素晴らしい数字)。しかし、米国特有の走行距離の多さが災いし、製造品質が十分でないことが明らかになってしまう。中古車価格は暴落し、金融機関は新車の分割払いを拒否するようになった。何万台ものドーフィンが、国中で休眠状態に陥ったのだ。

ルノーは大きな痛手を負い、その後1961年に発売された「4」が業績回復のきっかけとなったが、このモデルは米国には輸出されなかった。

ルノー・ドーフィン
ルノー・ドーフィン

ローバー3500

米国で販売されたローバーブランド最後のモデルは、SD1の3.5L V8仕様だ。米国のドライバーは、V8エンジンと後輪駆動のハンサムなクルマに興味を示すと思われたが、135psという頼りないパワー、怪しい製造品質、限られたマーケティングにより、成功の可能性を阻まれてしまう。

3500は、1980年と1981年にのみ公式に販売されたが、1982年にも少数が売れている。販売台数は1000台を超えたが、それほど多いものではない。

ローバー3500
ローバー3500

スターリング

3500を米国市場から撤退させてから6年。ローバーは自信を失うことなく、米国の消費者には必ずウケると期待し、同市場向けのブランド名を「スターリング(Sterling)」に変えた。そして、それがわずかながら功を奏した。

欧州では800シリーズとして知られ、ホンダ・レジェンドと密接な関係にあるモデルをスターリングブランドから発売。1987年には1万4000台を販売し、かなり有望なスタートを切ったが、4年後に撤退した時には、もはや3000台を超えることはなくなっていた。品質、信頼性ともに劣悪で、日本製の姉妹車であるホンダとの対比が、その残念さをさらに際立たせていた。

スターリング
スターリング

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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