米国人にはウケなかった欧州車 22選 悪いイメージと文化の違いで売れないクルマたち
公開 : 2022.07.24 18:05
トライアンフ・メイフラワー
メイフラワー(Mayflower)は、英国車の中で特に異彩を放っているクルマだ。1950年代初頭としては珍しく、ユニボディ構造を採用し、優れた視界と、後のトライアンフTR2スポーツカーにも流用されたほどの高性能フロントサスペンションを備えている。しかし、その反面、スピードは著しく遅く、決して「高級車」というイメージもなかった。
英国での評判は芳しくなかったが、米国に比べればはるかに熱狂的で、販売台数の推定はさまざまだが、広く認められているのは510台という数字である。
トライアンフ・スタッグ
ジョバンニ・ミケロッティ(1921~1980年)がデザインした美しいボディと、フルーティーな3.0L V8エンジンを搭載したスタッグ(Stag)。米国はもとより、ほとんどすべての地域で大ヒットするはずだった。
そうならなかった理由の1つは、エンジンにある。極めてデリケートな冷却装置とシリンダーを備えており、信頼性の低さは顕著であった。
ほぼ1970年代を通して生産されたが、米国への輸出は1971年から1973年にかけてのみで、販売台数は2871台と、英国で現存する台数の半分以下である。それでもスタッグのファンは多く、トライアンフ・スタッグ・クラブUSAが30年にわたり存続している。
ヴォグゾール・ビクター
オペルの英国版であるヴォグゾールは、古くからカナダに進出していたが、米国に導入されたモデルは初代ビクター(Victor)のみ。販売はポンティアック・ディーラーから行われていた。人気上昇中の小型/中型車クラスに投入されたビクターには、早くから大きな期待が寄せられていた。
1957年末の発売から半年間で約5万台が売れるなど、それなりの好成績を収めている。しかし、発売後まもなく、深刻な錆の問題を抱えていることが明らかになった。ポンティアック・テンペストやシボレー・コルベアの登場もあって、1961年の年間販売台数はわずか2万2000台にとどまり、GMはヴォグゾールの輸入は得策でないと判断したのである。
フォルクスワーゲン・フェートン
フォルクスワーゲンの最上級セダン、フェートン(Phaeton)は多くの点で優れていたが、世界中の市場で苦戦を強いられた。その理由としてよく言われるのは、高級車に「大衆車」のエンブレムを付けると、消費者が解決しにくい葛藤を抱えてしまうというものだ。
欧州での販売台数は控えめだったが、米国での販売台数はそれを大幅に下回っている。フォルクスワーゲンは、米国の消費者がこのクルマに興味がないことを察知し、わずか2年で販売を中止してしまった。