エンジンはポルシェ356のフラット4 VWタイプ1がベースのスポーツカブリオレ 後編

公開 : 2022.08.07 07:06

少量生産モデルとしては例外的に高い品質

ボディは1950年代らしいグレーが美しい。しっかりしたドアキャッチャーではなく、簡素なラッチで噛み合わさるリアヒンジのドアは、まさにスーイサイド(自殺)・タイプ。それでも、金庫の扉のようにガッシリ閉じる。

フロントとリアのハッチも、立て付けが素晴らしい。ハンドルを引いて引き上げると、自動ラッチによって、開いたままの状態を保てる。少し持ち上げてラッチを解除すれば、スッと正しい位置に戻る。見た目のとおり、質感の高い開閉といえる。

ダネンハウアー&シュタウス・スポーツカブリオレ(1951年/欧州仕様)
ダネンハウアー&シュタウス・スポーツカブリオレ(1951年/欧州仕様)

少量生産のモデルとしては、例外的な精度といって良い。この高品質な仕上がりは、D&Sの特長でもある。1950年代のビートル・ベースのスポーツカーとして、価格価値は優れていたといえる。

折りたたみ式のフードの設計にも、こだわりを感じる。ワンモーションの滑らかな動きで上下し、ボディやフロントガラスにピッタリ納まる。雨が降り出してから数分間、あれこれ格闘することになる英国製ロードスターとは大違いだ。

ところが、この高品質こそD&Sを傾ける原因にもなった。20人にも満たない従業員とともに、丁寧に時間を掛けて、1台1台スポーツカブリオレを製造していた。原寸大の木型から、すべてのパネルが職人の手で打ち出された。

ボディにプレス成形のパネルはなく、ドアと前後のリッドが1枚ものとして加工された。それ以外の部品は、溶接でつなぎ合わされられていた。その結果、1台の完成に800時間から1000時間が必要だったらしい。

ドイツのユニークな時代の生き証人

創業者のゴットヒルフ・ダネンハウアー氏とカートは深夜まで働いたが、得られる収益は極わずか。自らの1台を持つ余裕すらなかったようだ。

多忙を極めたためか、製造記録も残っておらず、実際に販売されたスポーツカブリオレの台数も正確にはわかっていない。80台から135台の間だと推定されている。

ダネンハウアー&シュタウス・スポーツカブリオレ(1951年/欧州仕様)
ダネンハウアー&シュタウス・スポーツカブリオレ(1951年/欧州仕様)

さらに1955年、タイプ1をベースにした2ドアクーペ、フォルクスワーゲン・カルマンギアが登場。D&Sの購買層は、本家のスポーツカーへ流れてしまった。

ごく僅かな台数が生産された、ダネンハウアー&シュタウス・スポーツカブリオレ。空冷フォルクスワーゲンをベースとした多くの派生モデルのなかでも、その希少性は突出している。

レイノルズのカブリオレは、5台が生き残っているスプリット・ウィンドウの1台。生産後期には、1枚ものの湾曲したフロントガラスが与えられ、固定ルーフのクーペも作られた。ワーゲン・マニアの間でも、知る人ぞ知る存在といっていいだろう。

さらに、ドイツの多くのコーチビルダーが独自モデルを製作していた、ユニークな時代の生き証人でもある。ポルシェが掴んだ成功とは、逆の運命を辿ったことが、数奇な時代でもあったことを物語っている。

協力:ジャスト・キャンパーズ社

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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