M誕生50周年 BMW M5 CSでニュルブルクリンクへ 創設者と開発本部を尋ねて 前編

公開 : 2022.08.13 09:45

フォード・カプリを破ったBMW 3.0 CSL

モータースポーツと関係の深いモデルが、ショールームに並ぶメリットは明らかだった。ツーリングカー選手権は、欧州では人気のイベントになっていた。

ラッツは、ニアパッシュに実権を握って欲しいと考えていた。一方のニアパッシュは、フォード・カプリRSをレーシング・マシンへ仕立て、欧州ツーリングカー選手権で圧倒的な強さを披露させていた。

BMW 3.0 CSL(1971〜1973年/欧州仕様)
BMW 3.0 CSL(1971〜1973年/欧州仕様)

「将来性あるプロジェクトに関わる、チャンスになる可能性がありました」。とニアパッシュが振り返る。現在のMというブランドを考えると随分控えめな動機付けに聞こえるが、実際、慎重だったようだ。

フォード・カプリに勝つため、E9型のホモロゲーション・マシン、3.0 CSLを1000台製造するという約束を取り付けるまで、BMWとの契約には応じなかった。危険な賭けだったという。

CSLを作ることは、BMWにとって難しい問題ではなかった。ドイツのカルマン社に委託された。だが、それを売り切ることは別問題だった。

サーキットでの活躍がなければ、安くない3.0 CSLへドライバーは興味を抱かない。価格は、極めて高価なフェラーリ・デイトナの3分の2に届いていた。BMWの経営に加えて、BMWモータースポーツ社の意義へ、打撃が及ぶ可能性はゼロではなかった。

ウイングなどで武装したエアロダイナミクス・アップグレード・パッケージの認可が降りたのは、1973年シーズンの途中。それをまとったマシンは、ニュルブルクリンク6時間耐久レースでデビュー。バットモービルと呼ばれた3.0 CSLは、見事な勝利を飾った。

7シリーズのエンジンを5シリーズに

BMWモータースポーツ社としても、この年が本当の始まりといえた。ところが1974年に第1次オイルショックが世界を襲う。

資金を得るため、技術者のポール・ロッシュ氏が設計したF2用エンジンは、レーシングチーム、マーチ・エンジニアリングのマックス・モズレー氏に売却された。BMWを支えるための、避けられない対応だった。

BMW M5 CS(英国仕様)
BMW M5 CS(英国仕様)

危機を乗り切ったBMWとともに、BMWモータースポーツ社も生き残った。そして、Mブランドを確立する、公道用の特別なモデルへと展開していく。

1980年には、当時の5シリーズ、E12型をベースにしたM535iを発売。パワフルな7シリーズに負けないサルーンとして開発されていた。

「私たちは柔軟でした。5シリーズに、1クラス大きい735i用のエンジンを搭載し、ダンパーやブレーキ、ホイールなどを改良しました。でも、見た目が速いクルマではありません」。と話すニアパッシュ。

それより先に、1978年にはスーパーカーのM1も誕生している。このクルマへは、彼も後悔が残っているようだ。ジョルジェット・ジウジアーロ氏が描き出したミドシップモデルだが、公道用としては453台だけが製造された。

BMWモータースポーツ社が抱いた、野心の表れといえた。欧州ツーリングカー選手権でフォードへ圧勝した次に挑むことに決めたのは、グループ5カテゴリーを935で暴れまわるポルシェだった。だが、直接対決は叶わなかった。

この続きは中編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・レーン

    Richard Lane

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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