現代モデルでは得難い運転の喜び フェラーリ・テスタロッサへ試乗 父の愛車 前編

公開 : 2022.08.10 08:25

マラネロの伝説モデルの1つ、テスタロッサ。1988年に評価したものと同じクルマを、英国編集部が再試乗しました。

父が所有していたテスタロッサ

1988年の英国でフェラーリへ試乗することは、タイムトラベルのような、今以上に特別なものだった。マクラーレン以外のメーカーが、F1グランプリで優勝できることを実感するものでもあった。不可能を可能にするブランドだった。

20世紀の英国で、フェラーリを輸入していたのがインチケープ・ドッドウェル社という大手の貿易企業。当時の広報担当者は、可能な限り自動車メディアから自社の輸入製品を遠ざけるよう、努力していたように記憶している。

フェラーリ・テスタロッサ(1984〜1991年/英国仕様)
フェラーリ・テスタロッサ(1984〜1991年/英国仕様)

1980年代中頃のフラッグシップ・モデルとして、テスタロッサは1984年に発売された。だが、英国編集部が試乗できたのは4年後の1988年。5.0L水平対向12気筒エンジンを直接味わうまでに、新鮮味は薄れてしまっていた。

テスタロッサの評価は、必ずしも優れているとはいえなかった。先代のベルリネッタ・ボクサー、512BBiより速かったが、スタイリングはそれ以上に美しいとはいえなかった。ドライバーとの一体感も薄れてしまったと、紙面には書かれている。

わたしは、その1988年の6月にAUTOCARへ入社した。だが上司は、正しい人事の判断ではなかったと考えていた。自分の名前が紙面に載ることはなく、筆者もやる気を少し失っていた。

AUTOCARにとって、筆者が大切な存在であると確信を抱いてもらうための、結果が必要だった。そこで、フェラーリが大きな役目を果たした。父はテスタロッサを所有していたのだ。

細かいところまで記憶に残っている

父も状況を理解していたため、相談してみると英国編集部にテスタロッサを貸してくれた。そこで組まれた企画がランチア・デルタ・インテグラーレとの比較試乗だったが、もちろん筆者は、記事の執筆をしていない。

少なくとも取材時は、2台のステアリングホイールを握り、どちらもクラッシュさせなかった。このイタリア製スーパーカーには借りがある。

フェラーリ・テスタロッサ(1984〜1991年/英国仕様)
フェラーリ・テスタロッサ(1984〜1991年/英国仕様)

それから数十年が経ち、偶然にも英国編集部のスタッフが1台のテスタロッサをクラシックカー売買のウェブサイトで発見した。前オーナーの名前は間違いなく父だったが、筆者にはとても手の届かない金額で売られていた。

取材からしばらくして、父は英国のグレイポール社というフェラーリ・ディーラーへテスタロッサを売却。ある男性が買い取り、25年ほどコレクションとして飾っていたという。走行距離は1万3000kmほど。その殆どを、父が走らせてきた。

筆者が父の真っ赤なフェラーリを目にしたのは、1988年が最後だ。そして再び、グレイポール社へ戻ってきたらしい。数時間でいいのでAUTOCARへ貸して欲しいと尋ねてみると、快く応じてくれた。

久しぶりにテスタロッサと対面する。筆者が実際にステアリングホイールを握ったことのある、唯一で、そのもののクルマだ。細かいところまで、面白いほど記憶に残っていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・フランケル

    Andrew Frankel

    英国編集部シニア・エディター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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