トヨタ・クラウン50年ぶり復活に沸く米国 現地ファンがちょっと残念に思うワケ
公開 : 2022.08.16 05:45
国内専売車種だったトヨタ・クラウンの新型は世界中で販売されるモデルに。米国の旧いクラウンファンが残念に思うことを紹介。
海外におけるクラウン販売の歴史
2015年10月にマイナーチェンジした15代目クラウンのCMを覚えているだろうか?
トヨエツこと俳優の豊川悦司氏が登場するCMで「クラウンは日本で買いましょう」というコピーが印象的だった。
これはクラウンが国内専売車種であること、純粋に日本の高級車市場をターゲットにしたクルマであることを意味する。
長年、クラウンを好むオーナー層にたいして、日本のVIPのためにだけ製造された高級車であることや、日本での使い勝手、日本の道路事情に配慮した設計、日本のオーナーのことだけを考えて作った高級車ですよ! というアピールだ。
1960~1970年代にはアメリカなど海外にも輸出され販売されていた例はあった。
例外として中国では1998年に四川トヨタ自動車有限会社(現:四川一汽トヨタ自動車有限会社)、2000年に天津トヨタ自動車有限会社(現:天津一汽トヨタ自動車有限会社)といった合弁会社が設立されており、2005年には中国工場で12代目クラウン「S180」の生産が開始されている。
長い間、日本でしか生産されていなかったクラウンにとって非常にめずらしい例だった。
なお、中国生産のクラウンセダン「中国名:皇冠」は2021年春まで生産されていた。
生産終了後、中国で「クラウン」の名前を冠して「王冠マーク」を付けたクルマは「クラウン・クルーガー」(SUV)、「クラウン・ヴェルファイア」(ミニバン)の2モデルに引き継がれている。
米国進出もパワー不足に故障だらけ
2022年7月15日に発表された第16代となる新型クラウンは「初めて」尽くしとなった。
それは、
(1)セダンに加えて、SUVなど合計4車型を発表 (地域によって販売されるモデルが異なる)
(2)4車種の中にはクラウン初のBEV(純電気自動車)が含まれる
(3)長らく国内専用車だったが世界約40か国で販売予定のグローバルモデルとなる
この中で世界を騒がせているのは言うまでもなく(3)である。
いまでこそ、「クラウンはアメリカ市場への足掛かりを作った最初の日本車」として認知されているが、実際、アメリカに上陸したばかりの頃は、故障が多発し、またパワー不足もあって大変な状況だったという。
それらはトヨタ自動車75年史の中でも触れられている(以下、トヨタ自動車75年史「米国への進出」より引用)。
「1957(昭和32)年8月、トヨタ自販の加藤誠之常務ら3人は、米国へのトヨタ車輸出の先遣隊として渡米し、販売会社の設立に着手した。日本から送られてきた見本車のクラウンとクラウン・デラックスの2台を受け取り、販売店へのお披露目を兼ねながら試験走行をおこなった」
「トヨタ自工のテクニカルセンターに、一周2kmのテストコースが完成したのは、その前年の1956年9月であり、本格的な高速耐久試験をおこなっていない状態で、クラウンを米国に持ち込むには無理があった」
「当初から危惧されていたことではあったが、高速道路を走っていると、突然エンジン音が騒々しくなって出力が低下し、米国で販売できる性能ではなかった」
「1958年6月にはクラウン・デラックス30台が船積みされ、本格的な対米輸出が始まった。しかし、懸念されていた性能・品質などの問題はすぐに顕在化してくる。高速走行時の出力不足、高速安定性の不備、激しい騒音と異常な振動、変形による部品の破損などが発生し始めた」
「また、アメリカでの販売が急増する欧州製コンパクトカーに対抗して米国メーカーが相次いでコンパクトカーを多数発売したことなども関係して、1960年12月にクラウンの対米輸出はいったん中止された」
「2代目クラウンも投入されたが結局、1972年に販売を終了。クラウンの長い歴史の中でアメリカでの販売はわずか14年だったのである」