マセラティ3500 GT(1957年)

1940年代後半に登場したA6の引退後、マセラティはもっとストレートなネーミングを好むようになる。1957年に発表された3500 GTは、3500ccの直6エンジンを搭載し、グランドツアラーというコンセプトを見事に体現したモデルだ。

1959年の5000 GTも同じルールに則ったものだが、その後は英数字のネーミングから離れ、ギブリ、ミストラル、セブリング、クアトロポルテといった名称を採用するようになった。

マセラティ3500 GTヴィニャーレ
マセラティ3500 GTヴィニャーレ

再びGTの名が使われたのは、1998年から2002年にかけて製造された3200 GT。そして2007年にはグラントゥーリズモという名のクーペを発売した。現在でもレヴァンテやクアトロポルテを筆頭に、仕様の1つとして「GTS」を使用している。

サーブGT750(1958年)

スウェーデンのサーブが1958年に発表したGT750は、イタリア以外のメーカーがGTの名称をあえて使用した最初の市販車の1つである。GT750は、2ドア・クーペのサーブ93のスポーツモデルであり、750ccの3気筒エンジンで45psを発揮。

性能ではマセラティ3500 GTには及ばないものの、サーブがこの言葉を使うことに文句を言う者はいなかった。93にラリーの遺伝子を組み込んだものであり、その文字に恥じない走りを見せるのだ。

サーブGT750
サーブGT750

アストン マーティンDB4 GT(1959年)

アストン マーティンは、1959年のロンドン・モーターショーでDB4のGT仕様を発表した。その名の通り、DB4をGTクラスレース用に改良した進化系である。標準より全長が短く、かなり軽量化されており、エンジンのパワーアップに加えて前後にディスクブレーキが装備された。

スターリング・モスは、DB4 GTのプロトタイプを駆ってデイリー・エクスプレス・シルバーストン・ミーティングのGTレースで優勝。アストンが正式発表するよりも先に、その価値をサーキットで証明している。また、さらに軽量・高性能化したDB4 GTザガートのベースともなった。

アストン マーティンDB4 GT
アストン マーティンDB4 GT

しかし、アストン マーティンは「グランドツアラー」の思想に忠実なブランドであるにもかかわらず、DB4 GT以降、GTの名称を使うことは稀である。

スチュードベーカー・グランツーリスモ・ホーク(1962年)

1962年にホークの最終進化型を発表し、米国ブランドとして初めてGTの名を冠したのがスチュードベーカーだった。メルセデス・ベンツ譲りの大胆なグリル、角張ったルーフライン、1960年代の流行に合わせたリアエンドなどを持ち、「グランツーリスモ・ホーク」と呼ばれる。エンジンは2種類の自然吸気V8と、最高出力293psのスーパーチャージャー付きV8が用意された。

グランツーリスモ・ホークは、経営不振に陥っていたスチュードベーカーを存続させるために勇敢にも登場したモデルであったが、結局は無駄に終わってしまう。1963年12月、インディアナ州サウスベンド工場の閉鎖に伴い、生産は終了した。

スチュードベーカー・グランツーリスモ・ホーク
スチュードベーカー・グランツーリスモ・ホーク

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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