フォードGT40(1964年)

フェラーリを打ち負かすために開発されたフォードGT40は、1964年のニュルブルクリンク1000kmレースで初出走した。この年のル・マンには3台が送り込まれたが、いずれも完走できず、脱落。1965年も、デイトナ2000で優勝したものの、不本意な結果に終わった。

GT40は、フォードが期待したような輝かしいスタートを切ることはできなかった。しかし、マーケティングには効果が見込まれたようで、1965年のマスタングにもGTの名を与えている。

1966年のフォードGT40
1966年のフォードGT40

フォードがGTの名称を使い始めたのは、英国フォードのコンサル・カプリの78ps仕様である。現在も、V8エンジン搭載のマスタングと、GT40の後継となる限定車にGTの呼称を使用している。

ポンティアックGTO(1964年)

ポンティアックGTOは間違いなく、世界初の本格アメリカン・マッスルカーである。親会社であるゼネラルモーターズの設けた330立法インチ(5.4L)の排気量制限に縛られずに、テンペストの高性能モデルを導入したいというポンティアックの要望から生まれた。

この制限はオプション・パッケージではなく量産車に適用されていたため、ポンティアックは巧妙に389立法インチ(6.4L)のV8をテンペスト・ルマンに詰め込み、価格を上乗せして販売した。1964年、3万2000人以上がGTOを購入している。

ポンティアックGTO
ポンティアックGTO

ポンティアックのチーフエンジニア、ジョン・デロリアン(そう、あのデロリアン)は、臆面もなくGTOの名称をフェラーリ250 GTOから拝借したが、それは「グランド・テンペスト・オプション」の略であると主張している。1966年に独立したモデルとなったGTOは、1974年まで幾度も進化を遂げた。

1999年、レトロブームの波が高まる中、ポンティアックはデトロイト・モーターショーでGTOと名付けたコンセプトカーを発表する。このコンセプトは市販化には至らなかったが、2004年にオーストラリアで生産されたホールデン・モナロのリバッジモデルにGTOの名が冠され、一時的にショールームに姿を現した。

プリンス・スカイライン2000GT(1964年)

日産とGTの長い歴史は、プリンス自動車に負うところが大きい。1964年、プリンスはグロリアから拝借した直6エンジンを積んだスカイラインでレースに参戦(写真)。このモデルは予想以上の成功を収め、スカイライン2000GTという市販車も誕生した。

日産は、1966年にプリンスと合併する際に、スカイラインとグロリアを手中に収める。さらに、1969年に初代スカイラインGT-R(4ドア)に搭載された1998cc直6エンジンも譲り受けた。それから約40年、GT-Rはスーパーカーにふさわしいクーペとして生き続けている。

プリンス・スカイライン2000GT
プリンス・スカイライン2000GT

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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