日産マーチ国内販売終了 かつてのエース、なぜ戦力外に? 40年の歴史を振り返る
公開 : 2022.09.02 07:30 更新 : 2022.09.02 07:33
初代は若い女性に支持され、2代目もヒット。3代目は日産の苦しい時代を支えた日産マーチ。なぜ販売を終えるのか考えます。
もくじ
ー日産マーチ生産終了 歴史に幕
ー若い女性に支持「マッチのマーチ」
ー「世界一」思想から生まれた2代目
ー最多販売台数 氷河期支えた3代目
ー4代目 「可愛らしさ」どこへ?
ーエースはノートに マーチ失速のワケ
日産マーチ生産終了 歴史に幕
「マーチ」といえば、日産を代表するモデルであり、昭和を知る人間であれば、日産の良い時代を思い出させてくれるモデルだ。
そんな「マーチ」の日本向けモデルが、ついに生産終了となる。そこで、過去の「マーチ」の歴史を振り返り、その功績と消えた理由を考察してみたい。
まず、初代の「マーチ」の誕生は1982年10月のことであった。
当時、ダイハツの「シャレード」をはじめ、スズキ「カルタス」など、1Lのエンジンを搭載する、小さな「リッターカー」が注目を集めていた。
また、日産としても1960年代に誕生した「サニー」も1Lのエンジンを搭載していたが、ライバルとなる「カローラ」との1970年代の戦いの中で、どんどんとエンジン排気量と車格をアップしており、その下を担うクルマが求められていたのだ。
そこで、日産は最も小さなクラスとして「FF 1000ccの乗用車」を開発することになる。それが初代「マーチ」であった。
若い女性に支持「マッチのマーチ」
当時の開発エンジニアの話によると、初代「マーチ」の企画は、イタリアのカーデザイナー、ジウジアーロ氏の売り込みを日産の社長が気に入ったところからスタートしたという。
つまり、社長案件の企画であり、「世界一軽くて安く優れたリッターカーを作ろう」という意気込みであったという。
そのため、初代「マーチ」は、エンジンから車体まですべてが新設計となった。
車名を公募して話題を集めるという手法も採用された。
なんと、車名には、565万1318通もの応募があったというから驚きだ。
また、今、初代「マーチ」を見れば、デザインのシャープさが目を引くけれど、ターゲットとしたのは女性ドライバーであったという。
プロモーションにはジャニーズのアイドルであった近藤正彦氏が採用され「マッチのマーチ」というCMも放送されていたのだ。
また、発売直後のわずか10日間で1万台を超える受注を達成。
その半数が29歳以下で、3分の1が女性。しかも女性のうち約3分の2が29歳以下であったという。
初代「マーチ」は、小さくて運転しやすく、その割に車内も広いと、若い女性にも強く支持されたのだ。
さらに初代「マーチ」は、1982年のデビューから10年にわたって販売が続いた。
膨大となった開発コストに対して、販売価格が低かったことが、販売期間が伸びた理由だという。
ただし、その間、キャンバストップを装備したモデルや、ターボを採用した「マーチR」などの多くのバリエーションが誕生。
「Be-1」や「パオ」、「フィガロ」といったパイクカー(カスタムカー)のベースも初代「マーチ」であったのだ。
さらに初代「マーチ」は、生産開始から6年2か月となる、1988年12月に累計生産台数100万台を突破。
欧州・カナダでも販売されており、1988年の時点で、生産された100万台のうち約55万台が海外に出荷されていたのだ。