日産マーチ国内販売終了 かつてのエース、なぜ戦力外に? 40年の歴史を振り返る
公開 : 2022.09.02 07:30 更新 : 2022.09.02 07:33
「世界一」思想から生まれた2代目
2代目「マーチ」の登場は、1992年のこと。
シャープなデザインの初代から、2代目はうってかわって丸みを帯びた優しいデザインとなった。
やはりメインのターゲットは女性であったのだ。
また、2代目「マーチ」はイギリスで生産されることもあり、走行性能も重視されていた。
ちなみに、当時の日産は「90年代までに世界一を目指す」という「901運動」を実施しており、その技術も2代目「マーチ」には生かされていたという。
そうした生まれた2代目「マーチ」もヒット車となり、1994年に累計生産200万台を突破、1997年には累計生産300万台を突破する。
初代と同様に、カブリオレなどの派生モデルも誕生。ハイトワゴンのヒットモデル初代「キューブ」も、ベースには2代目「マーチ」が使われている。
最多販売台数 氷河期支えた3代目
2代目となっても順調に売れ続けた「マーチ」であったが、その一方で、1990年代の日産は赤字が続く斜陽の時代でもあった。
そして、日産は2兆円もの有利子債務を抱え経営危機に。
1999年にはルノーとのアライアンスが決まり、リストラ屋として知られるカルロス・ゴーン氏が日産にやってきた。
そのゴーン氏による再建の中、2002年2月に生まれたのが3代目「マーチ」であった。
プラットフォームはルノーと共同開発となったが、「女性ユーザーに向けた」というコンセプトにブレはなかった。
それはキュートなルックスを見れば一目瞭然だ。
その結果、2002年の国内販売は、約15万8000台となり、「マーチ」の過去最高記録を更新することになる。
1999年にトヨタから「ヴィッツ」、2001年にはホンダから「フィット」が登場しており、コンパクトカーが激戦を繰り広げた中での好成績だ。
ちなみに2002年の年間販売ランキングは、「フィット」が1位、2位「カローラ」、3位「マーチ」となる。
再建に至る厳しい時代の日産を支えたのが「マーチ」だったのだ。
4代目 「可愛らしさ」どこへ?
そして最後に登場するのが、2010年7月発売の4代目「マーチ」だ。
このモデルの特徴は、「日本から世界」ではなく、最初から「世界のマーチ」として開発されたことだろう。
生産は主にタイでおこなわれることになった。
日本で販売する「マーチ」もタイからの輸入品となったのだ。
そして、何よりも驚かされたのが4代目「マーチ」のデザインだ。
残念ながら、日本人の価値観では、どう見ても、まったく可愛くない。初代からのメインターゲットである女性ユーザーには、どう考えても刺さるはずはない。
その結果、発売直後の2010年と2011年こそ年間5万台ほどを売ることができたが、年々販売は下降線をたどる。
2014年には50位以下のランク外となってしまうのだ。