ホールデン 知る人ぞ知る豪州初の自動車メーカーをさっくり解説

公開 : 2022.09.10 06:05

オーストラリアの自動車メーカーとして知られるホールデン。日本ではあまり親しみのないブランドですが、一体どのようなメーカーだったのか。誕生から終焉までの道のりをさっくりと振り返ります。

歴史の一部となったホールデン

ゼネラルモーターズ傘下のホールデン(Holden)は、1948年にオーストラリア初の国産車を世に送り出した。以降、オーストラリアの自動車ブランドとして名を馳せてきたが、2017年に国内生産が終了、2021年にはブランドそのものが消滅してしまった。

会社としてのホールデンは160年以上の歴史を持つが、さまざまな不幸が重なり、悲しい結末を迎えることになった。今回は、同社の歴史を写真でさっくり振り返りつつ、名車にスポットを当てて紹介する。

ホールデン・エフィジー・コンセプト
ホールデン・エフィジー・コンセプト

始まり

ホールデンは1856年に馬具メーカーとして創業したが、創業者ジェームズ・ホールデンの孫であるエドワードが入社すると、自動車産業への道を歩み始めた。ホールデン・モーター・ボディ・ビルダーズ(HMBB)が設立され、1920年代にはフォードとGMに年間1万2000台のボディを供給するまでに成長。しかし、世界恐慌により市場は崩壊し、1931年にHMBBはGMに買収された。

戦後、ホールデンとHMのおかげで、オーストラリア初の国産自動車「48-215」が誕生する。当初は北米市場向けのシボレーとして構想されたモデルだが、小さすぎるという理由で却下された。そこで、ホールデンはこれを独自のモデルとして国内向けに販売することにしたのである。

ホールデン48-215
ホールデン48-215

48-215

ホールデンは独自の鋳造工場と鍛造工場を設立し、セダン、ビジネスセダン、パネルバンをラインナップする。48-215は単純に「ホールデン」として販売され、5年間で12万台以上生産された。ホールデンはまた、ピックアップトラックを指すオーストラリア独自の言葉「ユート(Ute)」を作ったことでも知られている。ちなみに、ユートの語源はユーティリティ(Utility)。

ホールデン48-215
ホールデン48-215

FJ

ホールデンの2番目のモデルであるFJは、1953年に発売された。48-215の実質的なマイナーチェンジ版で、2.2L直6エンジンの出力が61psから66psに増強されているのが特徴。3年間で約17万台が販売され、現在でもオーストラリアを代表するモデルの1つとなっている。2005年には、コルベットをベースにしたコンセプトモデル、エフィジーを生み出した(この記事の最初の写真は、そのエフィジーのイメージ)。

ホールデンFJ
ホールデンFJ

FEからEKへ

1956年に発売されたFEと、その2年後に発売されたFCと呼ばれる改良型は、ホールデンの海外進出の先陣を切るものであった。東南アジアやアフリカの大部分で販売されたものの、ホールデンの中心は依然として国内市場にあり、50%のシェアを誇っていた。

1960年には、3番目の新型車FBが登場。しかし、ライバルのフォードと比較して時代遅れとみなされてしまう。1962年、ホールデンはEK(写真)を発表し、1968年までほぼ毎年改良を重ねていく。

ホールデンEK
ホールデンEK

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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