メルセデス・ベンツ:Engineered like no other car in the world(世界のどのクルマにも真似できない設計)

第二次世界大戦中、ダイムラー・ベンツの工場は激しい空襲を受けたが、50年代半ばには立ち直りつつあった。そして、190SLと300SLという2台の記念すべきモデルが世界デビューを飾る。同時に、英語圏の輸出市場を視野に入れた「Engineered like no other car in the world(世界のどのクルマにも真似できない設計)」というスローガンも初めて採用された。

このスローガンはその後、米英を含む世界中の国で、何十年にもわたって使われることになる。シンプルで効果的、そして率直に言って「事実」であった。当時、自動車の信頼性が現代に比べて非常に低かった時代、メルセデスの製品は良くできているということを声高に謳ったのである。

メルセデス・ベンツ:Engineered like no other car in the world
メルセデス・ベンツ:Engineered like no other car in the world

1992年に発売されたSクラスW140(写真右)でも、オーバーエンジニアリングを強調するために使用された。

メルセデス・ベンツの現在

1990年代半ばに、それまでよく働いてきたスローガンはひっそりと廃止された。40年の時を経て、さすがにもう限界だと思ったのだろう。また、信頼性においても日本車という強力なライバルが現れたことで、このスローガンの正当性が揺らいだのかもしれない。

1989年のレクサスLS400は、メルセデスのようなブランド力にこそ欠けるものの、驚くべき快適性と、トヨタから受け継いだ岩のような信頼性が特徴であった。実際、メルセデスはこれに驚き、W140の発売を遅らせて、この予想外の挑戦者を撃退するために改良を加えたと言われている。

メルセデスのスリーポインテッドスターに勝るプロモーションはないだろう。
メルセデスのスリーポインテッドスターに勝るプロモーションはないだろう。

その後、クライスラーとの合併、北米での生産開始、そしてメルセデスのオーバーエンジニアリングを意識的に取り除こうとした結果、規格ではなく予算で作られたようなモデルが登場し、一時期ブランドの評判に影響を及ぼしたことがあった。現在はその時期からほぼ回復し、再びドイツの高級車メーカーを代表する販売台数を誇っている。

現在のスローガン?いやいや、100年以上前から使われているスリーポインテッド・スターが、すべてを語っている。

BMW:The Ultimate Driving Machine(究極のドライビングマシン)

70年代初頭、GM出身のボブ・ラッツがBMWのセールス&マーケティング責任者に就任する。当時、ドイツの自動車会社が外国人(ラッツは米国人)をこのような上級職に就かせることは極めて異例だった。しかし、米国市場での地位を確立しようとするBMWにとって、彼はまさにうってつけの人物だったのだ。

当時、「The Sportsman’s Car(スポーツマンのクルマ)」という米国向けのスローガンに失望していたラッツは、消費者の心に刺さる文言を求め、広告代理店のAmmirati&Puris社と協力。走り好きのドライバーに選ばれるブランドとしてBMWを確立するため、新しいスローガンを探したのである。

BMW:究極のドライビングマシン
BMW:究極のドライビングマシン

その結果、「The Ultimate Driving Machine(究極のドライビング・マシン)」というスローガンが誕生した。伝えたいメッセージを曖昧にすることなくシンプルに表現している。しかし、多くの競合車が快適性を重視していた当時としては、一味違ったアプローチとなった。このスローガンは1973年に米国で使用され始め、その後他の市場にも広がり、瞬く間にBMWの代名詞となった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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