試作に消えたシューティングブレーク プジョー504 ブレークリビエラ カブリオレで再現 後編

公開 : 2022.10.15 07:06

ピニンファリーナのシューティングブレークを、マニアが見事に再現。2ドアの504とともに英国編集部がご紹介します。

充分な予算を用意しレプリカ製作を依頼

不明なことが多いプジョー504 ブレークリビエラだが、発表から半世紀後に改めて振り返ると、量産されなかった事実が惜しまれる。当時の写真は、その美しい仕上がりをしっかり写し出している。

横に長いリアのサイドガラスは、2分割のスライド式。専用の4スポーク・アルミホイールと、シルバーに輝くサイドシルが、全体の容姿を引き締めている。同時期に販売されたボルボ1800ESと路上で並ぶことがあれば、見事なペアになっただろう。

プジョー504 ブレークリビエラ・レプリカ(1972年式カブリオレ・ベース)
プジョー504 ブレークリビエラ・レプリカ(1972年式カブリオレ・ベース)

1975年にはスポーツワゴンのランチア・ベータ HPEが登場し、小さくない支持を集めていた。スタイリッシュで実用性が高いモデルに対するニーズは、充分にあったのではないだろうか。

興味をかきたてられる裏話付きの美しいシューティングブレークに、魅了されてきたプジョー・ファンは少なくない。特にピニンファリーナ・ボディの504を愛するマニアの場合は。

BoSモデルズというミニカー・ブランドから、1:18スケールのブレークリビエラが販売されており、これを飾って自己満足に浸る人もいる。しかし、それでは飽き足らず実物大を欲するツワモノもいる。相当な資金と技術が求められるとしても。

実際、英国のHCクラシックス社を営むリチャード・カープ氏は、1972年式の504 カブリオレをベースに、精巧なブレークリビエラのレプリカを作って欲しいと頼まれた。充分な予算を用意した、匿名の人物から。

元のボディは前フェンダーとボンネットだけ

「当初は504 クーペでプロジェクトをスタートしましたが、酷く錆びていて実行できませんでした。別のカブリオレは状態が良く、こちらで進めることになったんです」。とカープが説明する。

HCクラシックス社は2017年創業とまだ新しいが、近年ではブリストルやACカーズ、ローバーなど、多彩なレストアを請け負うまでに成長した。ポーランドに金属加工を得意とする提携拠点があるという。今はローバーP6 グラバーの作業中らしい。

プジョー504 ブレークリビエラ・レプリカ(1972年式カブリオレ・ベース)
プジョー504 ブレークリビエラ・レプリカ(1972年式カブリオレ・ベース)

504 ブレークリビエラは、同社が3年の月日をかけて完成させた集大成。1990年代に英国のオグル・デザイン社でデザイン・マネージャーを担っていた、カープ自身の技術が活きたと振り返る。

「リアまわりの製作には、CAD(コンピューター設計)を用いました。詳細なデータを成形用のCNCマシンに入力し、ボディパネルの型となるハニカム構造を削り出しています。写真は数枚だけでしたが、可能な限りオリジナルに近づけたデザインだと思います」

筆者の目にも、忠実に再現されているように映る。カブリオレから引き継がれたボディパネルは、フロントフェンダーとボンネットだけだそうだ。

「ルーフラインがクーペではリアに向けて下がるのに対し、ブレークリビエラでは1度上昇します。そのため、ウインドウのラインも異なるんです」

本来備わる、折りたたみ式リアシートを囲うバルクヘッドは、ボディに強度を与えていた。だが、シューティングブレーク化に当たり省かれたため、フロアが補強されている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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