ハイウェイの145kmを全力疾走 自作のロータス・カールトン 平均記録は264km/h 後編

公開 : 2022.10.16 07:06

ネバダ州の砂漠を貫くレースへ、ロータス・カールトンで挑んだジョー・エリス氏。英国編集部がそのマシンをご紹介します。

145kmのコースを平均速度241km/hで完走

ロータス・カールトンで2000年のネバダ・オープンロード・チャレンジに挑んだ、ジョー・エリス氏に話を聞く。「セルフレベリング・サスペンションで、リアタイヤが直立するよう工夫しています。タイヤ全体で熱を分散させるために」

「ゴールに向けて120Lの燃料を消費するほどリアが軽くなり、セミトレーリングアーム式のリアはキャンバー角が変化するんです。それを抑えることが目的でした」

ジョー・エリス氏が仕上げたヴォグゾール(オペル)・オメガがベースのロータス・カールトン(2000年)
ジョー・エリス氏が仕上げたヴォグゾールオペル)・オメガがベースのロータス・カールトン(2000年)

「わたしが戦ったクラスの1人は、タイヤがバーストしてポルシェを廃車にしていました。ドクターヘリの近くだったのは幸運でしたね。でも、彼らは砂埃が落ち着く前にエンジンを再始動させていましたが」

2000年の初戦は、ハイウェイ318号線を封鎖した全長90マイル(約145km)のコースを、時速150マイル(約241km/h)の平均速度で完走。1999年式コルベットに次ぐクラス2位だった。

エリスはデフクーラーを完成させるため、その冬のクリスマス休暇をテキサス州で過ごした。「デフフルード交換をしようとしたら、殆どフルードが流れてきませんでした。その時に、クーラーへ風が当たるようファンを追加しています」

「外気の気流が直接当たらないようにしたのは、飛んでくる小石やハエが心配だったから。過去にオープンロード・チャレンジへ挑んだ1人は、ハエが原因でタイヤがパンクしたと話していました。確かに、ハエは沢山飛んでいましたからね」

ゴール手前の横風でセンターラインを逸脱

2000年に時速160マイル(257km/h)を超えられなかったエリスは、2001年に再挑戦。さらに上の記録を目指した。

「レース前の車検では、消化器やロールケージ、燃料タンクなどの安全装備を基準に、目指せる最高速度が決められます。2001年に持ち込んだカールトンは、トップクラスの時速180マイル(約289km/h)クラスへ割り振られました」

2001年のネバダ・オープンロード・チャレンジの様子
2001年のネバダ・オープンロード・チャレンジの様子

「スピード計測地点でその速度を超えて走っても、失格になるんです。走行中、スピードメーターを見ると時速180マイル(約289km/h)を指していて、計測器の判定は時速177マイル(約284km/h)だったようです」

「ゴールが見えたところで横風が吹き、クルマが振られてセンターラインを超えました。ヒヤッとした瞬間でしたね」。相当に勇敢なドライバーとコ・ドライバーは、単にアクセルペダルを踏み倒し、前方へ集中していれば良いわけではない。

岩場の多いナローズと呼ばれる区間は、コース上で難しいセクションの1つだという。「最低速度を下回っても良いのはここだけ。全長12マイル(約19km)のストレートの後なので、コーナーに侵入するとクルマが大きく傾いているように感じるんです」

「ダンパーは加熱し動きも悪くなります。ナローズを過ぎた辺りで、ブラックマークが残っていました。スピンした跡でしょうね」

「145kmを走るのに、30分しかかかりません。ドライバーは集中力を保って、クルマはフルードを保つ。あの地域にいる、大きな七面鳥も厄介です。そこまで高速で走るクルマには慣れていませんから」

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジャック・フィリップス

    Jack Phillips

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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