世界一のジャンクヤード? 米アイダホ州の廃車売り場で宝探し 後編

公開 : 2022.10.09 06:25

米アイダホ州ウェンデルに、1920~1990年代に製造されたクルマ(廃車)が山のように集められています。すべて部品取りやレストア用として販売されており、旧車マニア垂涎のジャンクヤードとなっています。

ポンティアック・グランドビル(1973年)

ボンネビルがポンティアックのフラッグシップとして君臨していたのは1971年のこと。1973年に登場したグランドビルは、同年に9万172台が生産されている。この個体はその1台だ。

しかし、1973年末のオイルショックが需要に悪影響を及ぼし、1974年に売れたのは前年の半分以下だった。

ポンティアック・グランドビル(1973年)
ポンティアック・グランドビル(1973年)

フォード(1959年)

この写真はほんの一部しか写っていないが、L&Lクラシック・オートの広大さが伝わると思う。何kmもの未舗装路が縦横無尽に走っており、比較的簡単に移動することができが、ちょっとでも草むらの中に入っていくと、でこぼこした地面や岩、クルマの部品に遭遇する。

探索前に保険の免責事項に署名するよう求められたのも無理はない。一番手前にあるのが1959年式のフォードだ。

フォード(1959年)
フォード(1959年)

デソト・ファイアドーム(1953年)

1953年のV8コンバーチブル、デソト・ファイアドームのように、希少な車両が隠されていることもある。わずか1700台のうちの1台で、新しい住処を探しているところだ。

信じられないことに、この個体は約30年前、わずか7万897マイル(約11万4000km)しか走行していない状態で現役を引退したようだ。頑丈で錆びも少なく、トリムの一部が欠けている以外は、ほぼ完全な状態。1万6000ドル(約230万円)という意欲的なプライスタグがつけられている。

デソト・ファイアドーム(1953年)
デソト・ファイアドーム(1953年)

ランブラー・クロスカントリー(1960年)

1960年のランブラー・クロスカントリーの後ろに1964年のキャデラックと1990年代のシボレー・ルミナが写っているように、このジャンクヤードにはあまり秩序というものがない。120エーカーの広大な敷地の中で、従業員がどうやって特定の車両を探し出しているのかは謎である。

撮影時、ランブラーはほぼ完全な状態だったが、このままレストア用のプロジェクトカーとして販売されているわけではないので、現在では貴重な部品がいくつか取られている可能性もある。

ランブラー・クロスカントリー(1960年)
ランブラー・クロスカントリー(1960年)

ナッシュ・アンバサダー・カントリークラブ(1953年)

希少な1953年式ナッシュ・アンバサダー・カントリークラブのリアエンドは明らかに大破しており、最後のドライブは悲惨なものだったに違いない。このような頑丈なクルマにこれほどのダメージを与えるとは、相当なスピードで衝突されたのだろう。

ナッシュ・アンバサダー・カントリークラブ(1953年)
ナッシュ・アンバサダー・カントリークラブ(1953年)

シボレー・ステップバン(1960年)

1960年代初期のシボレー・ステップバンもまた、L&Lクラシック・オートの住人で、事故の後にここへ運ばれてきたクルマだ。ダメージから判断するに、横転したのは間違いなく、横転後に滑ったと思われる擦り傷が残っている。とはいえ、ドアハンドルがなぜ無事だったのかは謎だ。

シボレー・ステップバンは1940年から1999年まで製造され、古いものは一風変わった移動販売者として人気を博しているそうだ。

シボレー・ステップバン(1960年)
シボレー・ステップバン(1960年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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