ロンドンタクシーでシドニーへ カーボディーズFX4で目指したオーストラリア 後編

公開 : 2022.10.22 07:06

タクシー料金は3万1446ポンド

南西部にあるパースは、世界で最も孤立した大都市といっていい。東部のシドニーより、海を渡ったシンガポールの方が近いほど。滅多に訪れる機会はない。

チャールズは記念に、オーストラリアのカウボーイハット、アクバハットを買った。われわれは使い古した雰囲気の方がかっこいいと提案し、道に置いてロンドンタクシーで何度か踏んづけてあげた。彼は納得していなかったが。

ロンドンタクシーでオーストラリア・シドニーを目指したグレート・キヤノン・タクシーライドの様子
ロンドンタクシーでオーストラリア・シドニーを目指したグレート・キヤノン・タクシーライドの様子

暑い日差しのなか、アウトバックと呼ばれる原野をロンドンタクシーが東へ走る。夜には無数の星が空に広がり、文明から離れた世界を実感した。

ギブソン砂漠を抜け、岩石群のマウント・オルガや、ウルル(エアーズロック)へ立ち寄ったことが、今回の冒険で1番楽しい時間だったかもしれない。さらに東へ進みシンプソン砂漠を走り、バーズビル・トラックと呼ばれる大陸を縦断する道へ。

アデレードにメルボルン、キャンベラという都市を順に巡り、歓迎してくれたボブ・ホーク前首相とモーニングティーも楽しんだ。幾つかのメディア・イベントが開かれ、数日後にシドニーへ到着。素晴らしい陽気のなか、オペラハウスへ辿り着いた。

ロンドンからシドニーまで、見事にロンドンタクシーは賃走を果たした。1988年での料金は、3万1446ポンド(現在の価値で6万2263ポンド、約1027万円)。当時のオーストラリアドルに換算すると、約6万ドルという計算になった。

一方、オーストラリアドルで計算していたタクシーメーターは、3万8240ドル。1988年のロンドンタクシーは、オーストラリアより料金が2倍近く高いことが判明した。

現在はギルバート自動車博物館の展示車に

一生に1度という大冒険は、想像以上に過酷な体験ではあったが、ギネス記録へ認定されることにもなった。子どもたちの慈善団体へ向けた募金額は、25万ポンド(現在の価値で49万5000ポンド、約8167万円)以上に達した。

ロンドンタクシーは砂埃が流され、チームは解散した。それから15年後、とある人物と飛行機で出会うことがなければ、生涯の思い出として記憶にしまわれていただろう。

ロンドンタクシーでオーストラリア・シドニーを目指したグレート・キヤノン・タクシーライドの様子
ロンドンタクシーでオーストラリア・シドニーを目指したグレート・キヤノン・タクシーライドの様子

ある日、アデレード発シンガポール行きの機内で、隣の男性にわたしは声を掛けた。「こんにちは。どの地域の出身ですか?」

彼はウェールズ地方独特のアクセントで答えた。筆者もサウスウェールズ州から引っ越し20年が経過していたが、例のナマリが自然とよみがえった。ヒストリック・ロータス・レジスターの会員、マイク・ベネット氏だった。今では冒険家としての友人でもある。

彼との数年の付き合いを通じて、ロンドンタクシーでの冒険にマイクは関心を示した。これをきっかけに、オーストラリア・ビクトリア州の郊外で余生を過ごす、カーボディーズFX4の発見につながった。

世界最長の賃走を終えたロンドンタクシーは、今は南オーストラリア州ストラサルビンにある、ギルバート自動車博物館へ展示されている。1958年のモナコ・グランプリを戦ったロータス12の隣で、いぶし銀に輝いている。

寄稿:John Morgan(ジョン・モーガン

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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