フェラーリやマセラティと公道レース ACエース・ブリストル 3台のみの空力ボディ 後編

公開 : 2022.11.05 07:06

コブラの原型といえる、ACエース・ブリストル。ベネズエラの公道レースを戦ったマシンを、英国編集部がご紹介します。

フェラーリと競い合ったACエース・ブリストル

鮮やかなレッドのボディに139のゼッケンを付けた、シャシー番号BEX148のACエース・ブリストルは、しばしばイタリアのクラス上とも渡り合った。当時の写真では、8台のフェラーリと並んで走る姿が撮影されている。

ベネズエラの大きなレース・イベントとして数えられたのが、トロフェオ・シェル・ラ・トリニダード。ACエース・ブリストルは、初代オーナーのオスカー・ルピ博士によるドライブで、1958年に7位、1959年には2位を掴んでいる。

ACエース・ブリストル・ペンツ(1957年)
ACエース・ブリストル・ペンツ(1957年)

翌1960年のイベントへ参戦した後、ルピは新しいACエース・ブリストルを購入。善戦したシャシー番号BEX148は一線を退くと、新しいオーナーが1990年までスポーツカーとして公道で堪能したようだ。

数年後、ACオーナーズクラブのティム・アイルズ氏が眠っている状態で発見。専門家のナイジェル・ウィンチェスター氏の協力を得ながら、可能な限りオジリナル部品を活かし、当時の姿を蘇らせた。

ドイツの技術者、カール・ペンツ氏のチューニングが与えられたACエース・ブリストルは、2013年のグッドウッド・リバイバルまでに再生。イベント内のフォードウォーター・トロフィー・レースで、その勇姿を披露した。

ティムは数年間オーナーとして状態を維持し、ドイツ人コレクターに売却。最近になって、英国のクラシックカー・ディーラー、ペンディン・ヒストリックカーズ社へ渡ってきたという。

BMW由来の2.0L直列6気筒エンジン

ノーマルのACエースのスタイリングは完成しており、そこへ手を加えることは余計な作業にも思えてしまう。しかし、低められたフロントノーズによって空気抵抗が抑えられ、ある程度は最高速度が上昇したことは間違いないのだろう。しかも美しい。

小さなドアを開いてドライバーズシートへ飛び乗ると、ピッタリ身体にフィットする。ACエースを着たような、心地良い感覚は変わらない。

ACエース・ブリストル・ペンツ(1957年)
ACエース・ブリストル・ペンツ(1957年)

足もとには滑らかに傾くフロアヒンジのペダルが3枚。ステアリングホイールは大径だが、想像より軽く回せ、直感的にクルマの向きを決めていける。

中折れしたシフトレバーの下には、ブリストル社の4速マニュアル・トランスミッションが構えている。航空機水準の極めて正確なタッチで、明確なゲートへ積極的に導ける。

コンパクトなエンジンルームには、BMW由来のブリストル社製2.0L直列6気筒エンジンが収まっている。ヘミヘッドに3連のソレックス・キャブレターを載せ、走りにふさわしい勇ましいサウンドが放たれる。

高音の響きを伴って、2500rpmを過ぎた辺りからパワーが高まる。4500rpmを過ぎると、間違いなく力強い。当時の一般的な6気筒は、これほどスムーズに高回転域まで吹け上がらなかった。

キャブレターのジェットと点火プラグがマッチしていれば、6000rpmまで引っ張れる。2速で110km/h、3速で160km/h近くまで到達できる。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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