ツインエンジンのフォルクスワーゲン・シロッコ GTI グループBマシンに迫る速さ 前編
公開 : 2022.11.12 07:05
クラッシュしたポルシェを直しラリー参戦
ジャッキー・オリバー氏が過去にドライブしていた、少々時代遅れになったBRM P153のステアリングホイールを握り欧州F2選手権も戦っている。ところが、1980年代にキャリアの岐路へ立たされた。モータースポーツには大金が必要だった。
「スキル的には、相手を負かせられるだろうと考えていました。F2で戦っている人は、プロ・ドライバーではなく週末だけのアマチュアが中心でしたから」
「資金繰りが苦しくなり始めていた頃、幸運にもスポンサーになってくれる企業が現れました。限られた予算でしたが、数年間も支援してくれたんです」
「F2はお金が掛かるので、1982年にはツーリングカー・レースへ転向を考えました。フォード・カプリでの出場を目指していたのですが、スポンサー企業の上層部が変わり、モータースポーツは予算の無駄という判断に。計画はそこでストップです」
「そんな時に、以前にブレッドバンと呼ばれたフェラーリ250 GTでレースに出ていた、友人のマーティン・ジョンソンから電話が。ポルシェでクラッシュしたとね」
破損したポルシェ911をキムは入手。修理するとロールケージを組んで、ラリーステージを走り始めた。「それも1982年でした。何回スピンしたかわかりませんよ。それからサンビーム・ロータスに乗って、今まで残ったのがコレです」
ツインエンジンにAT+MTの組み合わせ
「シロッコを選んだ理由は、自分で経営している自動車修理工場がフォルクスワーゲン専門だったから。それに、フォルクスワーゲンがツインエンジンのクルマを開発していたことは、ジェッタで知っていました」
「シロッコのツインエンジン化では、知人のピーター・ヘイワースにも影響を受けました。彼はリビングに旋盤を置いているほど根っからの技術者で、ツインエンジンのアルファ・ロメオ・スッドを作っていました。それがヒントでしたね」
そこでキムは、部品取り用のシロッコを入手。エンジンとフロント・バルクヘッド、サスペンション、トランスミッションなどを抜き取り、ラリーマシンになるシロッコのリアへ移植した。
ツインエンジンを正しく機能させるため、スロットルケーブルは2本用意。レーシング仕様のシフトロッドは、ボディの後ろ側へ伸びた。当初はフロントにオートマティック、リアにマニュアルという配置だったそうだ。
ドライバーがギアを選ぶのはリア側に絞り、フロント側は速度に合わせて自動的に変速させることで、複雑さを低減できると考えたようだ。反面、トルクコンバーター式の3速ATはパワーの伝達に優れているとはいえなかった。
「最初のアイデアでは、エスコートのようにコーナーでフロントを食い込ませ、脱出時には四輪駆動による加速のメリットがあると考えました。フォルクスワーゲンも、ATとMTを組み合わせたアイデアに取り組んでいましたから」
この続きは後編にて。