米製4.0L直8エンジンに英製ボディ レイルトン・ロードスター 息子が好んだブルー 前編
公開 : 2022.11.13 07:05
アメリカ製のシャシーに、独自のコーチビルド・ボディを載せたレイルトン。英国編集部が貴重なロードスターをご紹介します。
複数のブランドを創業したマックリン
筆者が1度対面してみたかったと思う人物に、ノエル・マックリン氏がいる。今はなき自動車メーカー、インヴィクタとレイルトンを創業した彼は、60年に渡って技術開発や新規ビジネスへ積極的に取り組んだ。モータースポーツ活動にも熱心だった。
オーストラリア・パースで生まれたマックリンは幼くして乗馬をたしなみ、10歳の頃にロンドン・チェルシーへ移住。住んでいた家の屋上では、ペットとしてライオンを飼っていたという。趣味のアイスホッケーは、国際試合のメンバーに選ばれる程の腕前だった。
一家が営むマレーシアでの天然ゴム事業は成功し、映画製作やモータースポーツなどへの豊かな資金源になった。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、マックリンは連合軍が守る西部戦線へ参加。爆風に襲われるが、一命はとりとめた。
終戦後、マックリンは自動車産業へ進出し、シルバー・ホーク・モーター社を創業。さらに、ロンドン南西部のコバムを拠点にインヴィクタを立ち上げ、大恐慌を経て、今回ご紹介するレイルトンへも事業を拡大した。
1925年には富豪の知人、フィリップ・ライル氏からの資金提供を受けて、シフトチェンジを必要としない自動車の開発に着手。蒸気機関へも関心を広げた。インヴィクタのシャシーにメドウズ社のエンジンを搭載したスポーツ・モデルも生み出した。
直列8気筒エンジンのテラプレーン
レイルトン・ブランドを設立したのは1933年。映画製作から手を引いたマックリンは、所有する大きなワークショップを稼働させる新ビジネスを必要としていたのだ。
その時に目をつけたのが、アメリカ・デトロイトのハドソン・モーター社が発売した、4.0L直列8気筒エンジンを搭載した新モデルのテラプレーン。高品質なクルマを低価格に提供するという、可能性を見出した。
ただし、製造品質や洗練性、動力性能には惹かれた彼だったが、アメリカ的なスタイリングには納得できなかったようだ。シャシーを流用しながら、レイザーエッジと呼ばれた低いボンネットのコーチビルド・ボディを採用している。
電気系統やサスペンションも、オリジナルから改良。欧州市場に合わせたチューニングが施され、クロームメッキ・ラジエターが誇らしいレイルトン・テラプレーンを発売した。
このブランド名の由来となったのは、マックリンと交流のあった優れた技術者、リード・レイルトン氏。また彼は、レーシングドライバーでパイロットのリチャード・シャトルワース氏にも、プロトタイプ開発のために投資を持ちかけている。
レイルトン氏がテラプレーンへどの程度関わっていたのかは不明だが、1934年にはコーチビルダーのフリーストーン&ウェッブ社によるツアラー・ボディを搭載した、スタイリッシュな1台目が完成。報道陣や裕福な人々を驚かせた。