米製4.0L直8エンジンに英製ボディ レイルトン・ロードスター 息子が好んだブルー 後編

公開 : 2022.11.13 07:06

分厚いノイズで目覚める4.0L直列8気筒

1970年代にブルーの2シーターの姿を目にして以来、筆者もこのレイルトンに強い関心を抱いてきた。ショートシャシーに戦後のコーチビルド・ボディが組み合わされ、同社の他のモデルとは一線を画している。

マックリンはツーリングカーがマーケティング上重要だと判断していたが、ライト・スポーツ・ツアラー(LST)と呼ばれる2シーターモデルは、2台しか作られていない。それは、時速160km/hをブルックランズのテストコースで記録している。

レイルトン・ロードスター(1937年製シャシー/英国仕様)
レイルトン・ロードスター(1937年製シャシー/英国仕様)

今回はシャトルワース家のお屋敷の前で、ブルーのレイルトン・ロードスターの試乗が許された。ボンネットは長く、テールは丸く短く、スペアタイヤが2本載っている。

フロントノーズで存在感を示すのは、かつてAUTOCARのフレデリック・ゴードン・クロスビー氏がデザインしたシャープなラジエター。その両脇で、大きなヘッドライトが鋭い眼光を放つ。

控えめなカウルの付いたダッシュボードには、オリジナルのテラプレーンとは異なり、スミス社のメーターが整然と並ぶ。大きな4スポーク・ステアリングホイールも、輸入後に英国で交換されたもの。フロアのレバーは、3速MTとつながっている。

4.0Lの直列8気筒エンジンは、分厚いノイズで目覚める。長いリンケージを介するシフトレバーは、1速が横に飛び出たドッグレッグ・パターンで、ゲートは狭いが軽く正確に動かせる。ウェットコルクのクラッチも扱いやすい。

トップのまま殆どの交通状況に対応できる

3速へシフトアップすると、エンジンの滑らかさと洗練性が引き立つ。レスポンスも良い。低回転域からトルクが太く、加速も勇ましい。「10年は先取りしています」。と当時のAUTOCARが絶賛した理由がわかる。

トップに入れたまま、殆どの交通状況に対応できる。シフトチェンジの多さにうんざりしていたドライバーにとって、米英の合作といえるレイルトンは、魅力的に映ったことだろう。初代オーナー、リチャード・シャトルワース氏にも。

初代オーナーのリチャード・シャトルワース氏(左)
初代オーナーのリチャード・シャトルワース氏(左)

ボール・ナット式のステアリングラックは、速度が乗ってくると軽くなる。摩擦ダンパーで揺れが鎮められるリジットアクスルは、最初のオーナーもドライブしたであろう、私道の凹凸を見事に受け流す。砂埃を巻き上げながら。

フロントノーズに収まる4.0L直8エンジンは、約80年前もこの場所でノイズを撒き散らしていたことを想像すると、不思議な気分になる。笑顔のリチャードが、畑を耕すために広大な敷地へ向かう姿が思い浮かぶ。

第二次大戦中、レイルトンはフェアマイルBモーター・ランチと呼ばれる戦闘艇の生産に関与した。創業者のノエル・マックリン氏は功績を讃えられナイトの称号を与えられ、フランスへ移り住み1946年に命を落とした。

フェアマイルは1隻も残っていないが、1台限りの2シーターはしっかり受け継がれている。レイルトンとインヴィクタの熱心なファンによって。ユニークなロードスターは、平和の尊さや親子の絆を確認するのに、これ以上ないクラシックカーかもしれない。

協力:シャトルワース・コレクション&ガーデンズ

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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