ウクライナまで救急車で物資を届ける旅 ボランティアの難しさと支援の現状

公開 : 2022.11.12 06:05

いざ、ポーランドへ

英ケントからポーランド・クラクフまでは単純な道のりだが、1900kmの長い旅だ。1台の救急車に2人のドライバーを乗せて、土曜日の朝に出発し、夜通し走り、日曜日に到着する予定である。メンバーは、サイモンのほかにボランティア仲間であるキーラン、ウィル、デイブ、アレックス、そして筆者の6人。

手頃な料金のフェリーが午前4時40分発なので(ドーバーは数時間待ちの大行列)、カンタベリーから午前2時に出発する必要があり、初っ端からまいってしまう。それでも、出国検査に行列はなく、すぐにフランスを通過できた。続いてベルギーとオランダも走り抜け、土曜日の夕方には、ドイツの奥深くまで入っている。

ポーランドの都市クラクフで一晩停車。
ポーランドの都市クラクフで一晩停車。

休憩や食事のための停車は定期的にある(若いドライバーよりも中年男性の方が頻繁に停車する必要があるため)。しかし、土曜日の深夜から日曜日の早朝にかけて、本当に必要なのは睡眠である。

これがなかなか取れない。筆者の乗るプジョー・ボクサー(救急車仕様の大型バン)は、フロントに3つのシートがあり、当然ながら運転席のほうが2つの助手席よりも快適である。それはそれでいいのだが、快適でないシートは居眠りにも向かない。筆者はこれまで24時間耐久レースに何度か参加したことがあるが、クルマに乗っていてこれほど疲れたことはない。停車して昼寝をするのが唯一の正解だ。

日曜日の朝、車列はようやくクラクフに到着した。屋根付き駐車場には入りきらない背の高さなので、安全のために警察署が見えるところに駐車。ホテルを見つけて一休み。

ほとんどの参加者は、ここで帰路につく。筆者もそうするつもりだったが、まだ先に進めると聞き、乗ることにした。翌朝、運転を手伝ってくれるサーシャと合流する。

国境を越えてウクライナへ

クラクフからウクライナ国境までは3時間だが、コルチョバ・クラコヴェッツ(Korczowa-Krakovets)の国境検問所へ行くと、混雑のために通過に何時間もかかることがある。わたし達はさらに北上し、静かなブドミエシュ・フルシュフ(Budomierz-Hruszow)国境へ向かった。それでも、サーシャ、サイモン、筆者の3人はポーランド側の国境通過に5分、ウクライナ側では車両の輸入のための書類整理に45分以上かかる。

運転や安全上のリスクではなく、こうした事務的な作業がサイモンの支援活動で大変なところだ。銀行手続き(サイモンはまだチャリティーの銀行口座を開設できない)、輸出通知書、3か国語の車載品証明書、ボランティアの権利放棄書、保険、道路税、渋滞料金、排ガス料金、フェリー、ホテル、燃料などなど……購入、記録、整理、記憶などの面倒な作業があるのだ。

国境を越えると、西側諸国への感謝とロシアの侵攻を非難する看板が立っていた。
国境を越えると、西側諸国への感謝とロシアの侵攻を非難する看板が立っていた。    AUTOCAR

救急車を必要とする人たちに救急車を届けるという、表向きは単純な活動だが、サイモンにとって事務作業が最も大きな負担となっている。旅が進むにつれて、彼の負担は軽減され、肩の荷がおりていく。

資金面、物流面、車両面、技術面など、もっと多くのサポートがあれば、また実現できるかもしれない。しかし、2度目ということで、サイモンは自分の会社だけでなく、他の人もサポートできるのではないかと考えている。

ポーランドからウクライナの都市リヴィウまではわずか80kmしか離れていないので、最前線よりもはるかに近い。

途中、静かな村々を通り抜け、無人の軍事検問所を通過する。現在、最も近い前線は900km離れたマリウポリだが、明らかに戦争の気配がある。橋には土嚢が積まれ、ロシアの残虐行為を非難し、英国、EU、米国の支援に感謝する大きな看板が立っている。

2つの墓地を通り過ぎた。どちらも新しい墓石が多く、そのうちの1つでは2人の男が墓を掘っていた。

リヴィウの人口は、年初の70万人から、今ではその3倍にまで増加したと言われている。国内に残る多くの避難民が移動できる、戦場から最も遠い都市だ。ロシアの占領地から遠く離れているとはいえ、夜間空襲警報が頻繁に発令され、時にはロシア軍のミサイル攻撃の標的になることもある。8月上旬には、市街地近くの地対空ミサイル砲台が破壊された。だが、郊外には戦争の痕跡はあまりない。

護衛の人と別れ、リヴィウ南西にある倉庫に向かうと、感謝と笑顔で迎えられた。

すぐに荷降ろし作業に取りかかる。救急車を停めて後ろのドアを開けると、1分もしないうちに地元のボランティアがパレットに荷物を積み込み、仕分けにかかる。そして10分後、車内は空っぽになり、わたし達は一息ついた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マット・プライヤー

    Matt Prior

    英国編集部エディター・アト・ラージ
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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