一度は復活を遂げた迷(名)車たち 中編 オースティン・マエストロ ランチア・ベータ・モンテカルロ ポルシェ912ほか
公開 : 2022.11.26 07:06
各メーカーが全力で創出したクルマのなかには、生産終了後に復活を遂げる例も。英国編集部が特徴的な10台をご紹介します。
ランチア・ベータ・モンテカルロ(1975年)
1975年のミドシップ・スポーツカー、ランチア・ベータ・モンテカルロは、本来はフィアットとして開発されていた。ツインカムの4気筒エンジンが発揮する馬力は121psに留まったが、ピニンファリーナ社によるスタイリングは美しく、それ以上に速く見えた。
イタリアン・スポーツカー好きが多い北米市場にも輸出され、彼の地ではスコーピオンと呼ばれた。だが、厳しい排気ガス規制に合わせて81psへパワーダウンされており、ガッカリした人も多かったことだろう。
ベータ・モンテカルロの売れ行きを大きく減速させたのは、ブレーキング時にフロントタイヤ側がロックするという悪癖だった。この問題は軽微とはいえず、1978年に生産停止へ追い込まれてしまう。
しかし改良を経て、2年後の1980年にモンテカルロ・シリーズ2として復活。人々の記憶に残る悪いイメージを払拭するため、ベータというミドルネームは省かれた。
エンジンがノイジーだったことに変わりはないが、より大きなホイールと新しいフロントグリルを獲得。そして何より、適正に動作するブレーキが与えられていた。制動力をアシストする、サーボを取り外すという苦肉の策で。
そんなモンテカルロ・シリーズ2の生産も、短期間に終わっている。1981年までに7798台が生産されただけだ。
マニアな小ネタ:コメディ映画「ハービー・ゴーズ・モンテカルロ」にも登場したスコーピオン。サスペンション・スプリングが長く、操縦性は欧州仕様車より劣っていた。
オースティン・マエストロ(1983年)
1983年に発表されたオースティン・マエストロは、横置きエンジンにマクファーソンストラット式のフロント・サスペンションを備えた、合理的な設計の5ドア・ハッチバックだった。スタイリングを手掛けたのは英国の巨匠、デビッド・ベイチュ氏だ。
クルマの見た目とパッケージングは良かった。市場の反応も悪くなかったが、製造品質が足を引っ張った。保守的なイメージも伴って、販売でライバルに勝つことはなかった。
1994年、オースティン・モーターをBMWが買収。マエストロは真っ先にモデルラインナップから姿を消した。しかしブルガリアでは、ノックダウン生産という形で1995年に一時的な復活を果たしている。
さらに1997年には中国の第一汽車が権利を購入。ハッチバックのQE6400「ルビー」とバンのQE6440「レアード」へ生まれ変わっている。2003年にはCA6400UAへ派生し、2012年にはデザインが変更されたSUVのイエマへと発展した。
マニアな小ネタ:1998年にブルガリアで売れ残ったマエストロは、英国のとある企業が購入。1台4000ポンド以下という低価格で販売している。