一度は復活を遂げた迷(名)車たち 中編 オースティン・マエストロ ランチア・ベータ・モンテカルロ ポルシェ912ほか

公開 : 2022.11.26 07:06

ピアレスGT(1958年)

トライアンフTR3用の部品を流用し、低価格なアストン マーティンを狙ったグランドツアラーがピアレスGT。鋼管で組まれたスペースフレーム・シャシーにドディオン・リアアクスルを備え、1958年のル・マン24時間レースでは小さくない存在感を示した。

初年度には約250台が販売されたものの、製造品質はイマイチで、FRP製ボディの仕上げに洗練性という言葉は似合わなかった。当初はアメリカでの販売も考えられていたが実現せず、すぐにプロジェクトは立ち行かなくなった。

ピアレスGT(1958〜1960年/英国仕様)
ピアレスGT(1958〜1960年/英国仕様)

経営陣が混乱するなか、ピアレスGTは1960年までに290台の生産で幕を閉じた。しかし、プロジェクトの発起人でレーシングカー・デザイナーのバーニー・ロジャー氏は諦めていなかった。

ほぼ内容を変えることなく、ワーウィックGTとして同じ1960年に復活させている。ロンドンの西、ヒースロー空港そばの小さなワークショップで。

小規模での少量生産を考えていたようだが、価格は1600ポンドとキットカーに近い内容としては高額だった。最終的に45台しか作られていない。

マニアな小ネタ:アメリカの顧客から、V8エンジンのピアレスを作って欲しいとワーウィックへ連絡があったという。それが、後にゴードン-キーブルへの着想へつながったという。

ポルシェ912(1965年)

1964年、ポルシェは水平対向6気筒エンジンをリアに積んだ911を発表。多くの注目を集める一方で、水平対向4気筒エンジンを搭載した356を好んだドライバーの気持ちを遠ざけてしまった。より上級志向の内容で、高い価格が与えられていたためだ。

そこでポルシェは、古いプッシュロッド式の356用4気筒を911に搭載し、装備を簡略化した912を1965年に発売する。1969年にフォルクスワーゲンとの共同で開発された914が発売されるまで、912は好調に売れた。3万300台がラインオフしたという。

ポルシェ912(1965〜1969年/欧州仕様)
ポルシェ912(1965〜1969年/欧州仕様)

新しい914も、手頃な4気筒ポルシェとして一定の役目を果たした。パワーや価格で、911を更に上の水準へ引き上げることも可能とした。ところが人気は伸びず、1975年に販売が終了してしまう。

それを受け、6年間のブランクをおいて4気筒の911というアイデアが復活。ポルシェは912Eを生み出す。新しい924が販売されるまでの空白を埋めるモデルとして、アメリカのディーラーによる要求がきっかけだった。

ところが、同社の量産モデルとしては最も短命に終わる。販売されたのはアメリカ市場の限定で、生産は1975年の1年間のみ。912Eは、2099台しか作られていない。

マニアな小ネタ:オリジナルの912と、912Eが搭載するエンジンはまったく異なる。912Eは、フォルクスワーゲン・タイプ4(411)用の燃料インジェクション版と同じユニットを搭載していた。914にも搭載されていたものだ。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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