誰も知らない80年代の名車 39選 前編 マイナー過ぎてついていけない無名のクルマたち

公開 : 2022.12.10 18:05

1980年代といえば、トヨタMR2やフェラーリ・テスタロッサなど数多くの名車が生まれた時代。しかし、人知れず消滅していった無名なモデルもたくさんあります。今回は、忘れられた80年代の名車・迷車を紹介します。

1980年代のマイナーな名車・迷車たち

戦争、燃料価格の高騰、インフレの蔓延……。なにかと暗いニュースが多い2022年だが、思い返してみれば、1980年代にもこのような出来事がたくさんあった。同時に、80年代といえば、今も愛され続ける名車が数多く生まれた時代でもある。すでにクラシックカーとして「殿堂入り」を果たしているものも少なくない。

しかし、人気車種が輝きを放ち続ける一方で、すっかり影を潜めてしまったクルマも存在する。今回は、1980年代に世界で活躍したクルマの中から、もうすっかり忘れられてしまったものを紹介したい。

忘れ去られた1980年代の名車・迷車の数々を前後編に分けて紹介する。
忘れ去られた1980年代の名車・迷車の数々を前後編に分けて紹介する。

スバル・ブラット(1977年)

米国のロナルド・レーガン大統領がカリフォルニアの牧場で20年間所有していたクルマ。スバル・ブラット(BRAT)は、1977年から1994年まで販売されたメルセデス・ベンツSクラスに乗るような富裕層を惹きつけたピックアップトラックだ。

米国を中心に10万台が販売されたが、日本では正規導入されていない。後に1.8Lターボを搭載したモデルが人気を博し、スバルの信頼性の高さを確固たるものにした。現在に至るまでの米国市場での成功の礎となったクルマである。

スバル・ブラット(1977年)
スバル・ブラット(1977年)

プリムス・サッポロ(1978年)

サッポロという車名は、ご存知の通り北海道の札幌のこと。1972年の札幌オリンピックに由来するとされている。三菱クライスラーが提携し、贅沢な装備と経済性の高さを備えたモデルとしてプリムスブランドから発売された。ランバーサポート付きバケットシート、スモークガラス、電動格納式ミラーなど、その仕様は現代の基準に照らし合わせても遜色ないものだ。

その上、約17km/hの低燃費と、ドライバーを楽しませるパフォーマンスを実現していた。こうして7万台程度が売れたにも関わらず、なぜ忘れ去られてしまったのだろう? それは、三菱とクライスラーの関係が変わり、三菱がコンクエスト(日本名:スタリオン)を販売し始めたからだ。

プリムス・サッポロ(1978年)
プリムス・サッポロ(1978年)

マイダス・ブロンズ(1978年)

英国のマイダスは、手軽なスポーツカーメーカーとして世界の頂点を目指すことも可能だったはずだ。しかし、1989年に発生した工場火災により、高い評価を得ながらも1989年に解散してしまった。

1978年に発売されたブロンズは、グラスファイバー・モノコックボディを採用し、同構造で初めて当時の衝突テストをクリアした。リチャード・オークスによる端正なスタイリングとゴードン・マレーによるエアロダイナミクス・デザインを採用し、後続のゴールドも登場。火災で金型が焼失したのは、販売が軌道に乗り始めたころであった。ブロンズ、ゴールド合わせて500台が生産され、その画期的なデザインは徐々に認知されつつある。

マイダス・ブロンズ(1978年)
マイダス・ブロンズ(1978年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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