誰も知らない80年代の名車 39選 前編 マイナー過ぎてついていけない無名のクルマたち

公開 : 2022.12.10 18:05

キャデラック・シマロン(1982年)

1982年に発表されたこのシマロンは、プレッシャーの産物だった。海外メーカーに売り上げを奪われることを懸念したキャデラックは、GMに既存のプラットフォームを使って新たなクルマを開発するよう求めた。問題は、その開発期間の猶予が1年しかなかったことだ。

そこで、シボレー・キャバリエに装備を詰め込み、リバッジして「ザ・シマロン・バイ・キャデラック」として4000ドルのプレミアムをつけて売り出すことになったのだ。年間2万台を売ったものの、このお粗末な作りはすぐに見破られ、販売は6年かけてゆっくりと地に落ちていった。

キャデラック・シマロン(1982年)
キャデラック・シマロン(1982年)

フォードEXP(1982年)

廃止寸前だったフォードEXPを救ったのは、エンジニアたちだった。フォードEXPは、フォード・エスコートに代わるスポーティなモデルとして1982年に登場。フロントグリルがない奇抜なデザインが特徴で、22万5000台が販売されたものの、一番のファンは街ではなく工場内にいた。

高品質の日本車に押されて初代EXPの生産が終了する頃、フォード工場で従業員がエスコートの部品を流用した改造車を作り、なんと上司の承認を得てしまった。その結果生まれた2代目EXPは、初代よりも平凡なデザインになってしまったが、エスコートファミリーの中で生き続けたのである。

フォードEXP(1982年)
フォードEXP(1982年)

リンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)

リンカーンの中でも最も有名なモデルの1つであるコンチネンタルだが、欧州風味のディーゼルエンジン搭載車は、数十年にわたる歴史の中でも特に目立たない存在である。

メルセデス・ベンツが米国に輸入したディーゼル車は、リンカーンを大いに困らせた。キャデラックも流行に乗り、去りゆく顧客を引き止めるためにディーゼル車の販売を始めるが、上手くはいかなかった。

リンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)
リンカーン・コンチネンタル・ターボディーゼル(1983年)

1984年モデルでは、最高出力140psの4.9L V8と、BMWが製造した115psの2.4L直6ターボディーゼル(524tdと同じユニット)を設定。しかし、結局のところメルセデス・ベンツの顧客はリンカーンを欲しがらず、リンカーンの顧客もディーゼルを欲しがらなかった。1985年以降、ディーゼルは消滅した。

いすゞ・インパルス(1983年)

キュートだけどスレンダー。パワフルだけど繊細。どれも、今のいすゞから連想される言葉ではない。しかし、海外で展開されたいすゞ・インパルス(日本名:ピアッツァ)の広告には、月に照らされた暗い背景に、「It screams when you step on it(踏むと叫ぶ)」というキャッチフレーズが添えられ、異様な雰囲気を漂わせている。

実際、ジョルジェット・ジウジアーロがスタイリングを手がけ、ロータスが開発したサスペンションを搭載するなど、時代の先端を行くクルマであった。しかし、その人目を引くルックスと繊細なキャラクターは、さすがに時代を先取りしすぎていたのか、グローバル販売は成功とは言えず。1991年にデビューした2代目は、似て非なるものとなった。

いすゞ・インパルス(1983年)
いすゞ・インパルス(1983年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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